熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

今のインフレはスタグフレーションの前兆か

2022年08月06日 | 政治・経済・社会
   野村のEL BORDEが、「悪いインフレ? 生活にも影響する「スタグフレーション」とは」という記事を掲載した。
   急速に進行している日本のインフレが、スタグフレーションの前触れかどうかは予断を許さないが、
   スタグフレーションとは、不況を意味するスタグネーションとインフレーションの合成語で、景気が停滞しているにもかかわらず、物価の上昇が続く現象を指すと言うことである。
   1970年代の第1次オイルショック後に日本はスタグフレーションを経験していて、消費者物価指数は、第4次中東戦争前の1972年には前年比4.9%上昇だったが、1973年は同11.7%上昇、1974年は同23.2%上昇した。一方、実質GDP成長率の推移を見ると、物価が急上昇する同時期に大きく落ち込んで、1974年に-1.2%と戦後初めてマイナス成長を経験し、戦後続いていた高度経済成長が終焉を迎えた。

   さて、日本の消費者物価は今年4月、デフレスパイラルからの脱却を目指して、日銀などがターゲットとしていた2%の上昇を遂に達成した。しかし、このインフレは、政府や日銀の意図していた消費者などの需要増による好循環によるものではなく、コロナ禍やウクライナでの戦争などの外的要因によるエネルギーや食料品の高騰、原材料価格の上昇などで、コストプッシュによるインフレーションであった。
   失われた30年の間に、経済成長に見放されて企業の生産性が向上しなかったために、賃金給与所得が低迷を続けていて、購買力アップなきインフレであるので、国民生活を更に直撃して、需要収縮するなど不況要因を増幅させよう。デフレに慣れきった日本国民が、急な物価上昇をスンナリと受容するはずがなく財布の紐を締めるのは必定である。
   コストプッシュに耐えられず、メーカーなど企業がコストの増加分を消費者に転嫁した形で一斉に製品の値上げに走っているのだが、この値上げによって、企業の拡大投資や生産増加を期待出来るはずもなく、むしろ、生産縮小のきらいさえある。
   このまま、インフレが進行し、経済が不況色を帯び始めると、スタグフレーションに突入する。
   私自身は、アメリカがニクソンショック以降に経験したような深刻なスタグフレーションには陥らないとは思っているが、キシダノミクス程度の経済政策では、回復どころか、経済を悪化させるだけで、更なる失われた40年しか頭に浮かばない。

   私は、オイルショックの時には、アメリカに居たので、日本のトイレットペーパー騒動など知らないのだが、アメリカのスタグフレーション苦境の一端は知っている。
   それよりも印象的なのは、1974年から1979年までいて、前後頻繁に訪れていたブラジルでの凄まじいインフレである。
   記憶が薄れて殆ど忘れてしまったが、年率何百%のインフレであるから、価格などあってなきがごとしで、
   持ち帰った高額紙幣など10万クルゼイロ札に一気に10クルゼイロ印が押されてノミネートされていたり、スーパーの値札など頻繁に張り替えられて分厚く重なっていたり、とにかく、給与支給日には、値上がりする前にと、店は混雑の極致で、瞬く間に棚は空っぽに、
   ゼツリオバルガス研究所がインフレ指数を発表するので、それに合わせて給与額など経済指標など調整するコレソンモネタリア制度なのだが、政府が恣意的に実際のインフレ数字をダウンさせて発表するとかで、国民生活はドンドン窮乏化するという悪循環。
   幸い、私の場合には、ドル建てで給与が支給されていたので、隣のパラグアイの銀行でドルで引き落として、サンパウロの両替所で小刻みにクルゼイロに交換して生活をしていたので、それほど不足はなかったし、事務所も駐在員事務所扱いで資金は日本からの送金なので、同じように処理していた。
   他の日本企業の現地法人は、インフレ対策に四苦八苦していたようだが、その点、私は楽であった。

   しばらくして後に、アルゼンチンのブエノスアイレスに行った時には、もっと、インフレが酷くて、印刷が間に合わず、紙幣など真面に印刷されておらずに、金額が分かる程度に殆ど白紙状態で流通しており、タクシーに乗れば、何十万ペソで札束をごっそり渡す、
   とにかく、ナイトクラブに行っても、何百万ペソ、何千万ペソで気の遠くなるような豪遊(?)だが、これはカードで処理。
   インフレが激しいと言うことは、異常に通貨価値が低いと言うことで、昨夜一寸バーで5千万ペソばかり飲んでねえ、と言っても知れていると言うこと。
   2~3日しか居なかったので、現金は200ドルくらいしか両替しなかったが、世界中を歩いて回ると色々な経験をする。

   いずれにしろ、今のように円が安いとおいそれと海外には行けないが、私が世界中を飛び回っていたときには、円が強かったので、幸せであったかも知れないと思っている。
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國際経済は脱グローバル化へ

2022年08月05日 | 政治・経済・社会
    NHKの「混迷の世紀 プロローグ “プーチンの戦争” 世界はどこに向かうのか」の第2のトピックスは、「グローバル経済」。
   トーマス・フリードマンが、『 フラット化する世界 』を歌い上げた21世紀のグローバル化が大きく世界経済を高揚させてきたが、米中の対立やウクライナ戦争による東西の分裂などで、一気に、グローバリゼーションが暗転し始めてきた。

   この番組では、まず、プーチンが「膨大な天然資源を持つロシアは、先進国の中でも特別な存在だ。エネルギーは経済構造を変えるチャンスだ。世界市場でしかるべき地位を獲得する。」と豪語して推進してきたロシアの世界を震撼させているエネルギー戦略・資源戦略について詳述し、
   続いて、ウクライナ戦争によって引き起こされた食料供給網の大混乱を活写して、岐路に立つグローバル経済を論じている。

   総括論として、ハーバード大学のケネス・ロゴフ教授の論を引くと、
   「今や、私たちはグローバル化から、脱グローバル化という歴史の転換点に立っています。過去にもこうしたことはありました。第1次世界大戦の前は、急速にグローバル化が進む時代でしたが、第2次大戦の前は脱グローバル化の時代で、とてつもなく政治的な緊張が高まりました。同じことが起こる危険性があります。地政学的な問題が関わるので、予測はしにくいのですが、そうなることを大いに懸念しています」
   いま、経済圏が分断され、経済のブロック化が進んでいるように見えるが、再び冷戦時代に見たような、経済の分断が起こると思うかという問いに対して、
   「重要な指摘だと思います。経済面でも第2の冷戦に突入する可能性があります。このままでは、ロシア、そして中国とほかの国々の間に、新たな鉄のカーテンができるかもしれません。インド、南アフリカ、ブラジルなども西側諸国と距離をとれば、30~40年前(冷戦期)と同じことが起こります。世界経済にとって非常に悪いシナリオです。今考えられているよりも、ずっとひどいことになるでしょう」
   国際経済は、脱グローバル化して、東西分断の新冷戦時代に逆戻りしたというのである。

   今回のウクライナ戦争で露呈した最悪の事例は、ドイツの異常とも言うべきロシアへの依存度で、右往左往するドイツのロシア天然ガス狂騒曲だと思う。
   原子力発電から決別したドイツでの、2021年の1次エネルギー消費量構成は、石油31.8%、天然ガス26.7%、石炭8.6%で化石燃料で6割を超えている。このうちロシアへの依存度が高く、2020年には、石油34%、天然ガス55%、石炭45%がロシアからの輸入で、特に、天然ガスは国内需要の9割以上を輸入に頼っていて、その輸入の半分以上をロシアに依存している。と言う。
   これは、相手がロシアという第二次世界大戦で熾烈な戦争をし、現実にも仮想敵国と思しき国でありながら、それを忘れてしまって、ロシアを完全なる同盟国として信頼しきった国家戦略であったのか、歴史が終って民主主義のグローバル経済の時代になって逆戻りはないと判断したのか、それとも、ロシアのカントリーリスクはゼロと見誤ったのか、等々、ドイツの常軌を逸した能天気と愚かさを暴露していて、寝首をかかれても当然であり、ここまで来ると喜劇だとしか言いようがない。

   余談だが、1970年代から1980年代、日本企業の勃興期で、世界市場に破竹の勢いで進出していた頃には、新規市場など進出国のカントリーリスクが、最大の課題であった。
   ウィキペディアを引用させて貰うと、
   カントリーリスクとは、「海外投融資や貿易を行う際、対象国の政治・経済・社会環境の変化のために、個別事業相手が持つ商業リスクとは無関係に収益を損なう危険の度合いのこと。 GDP、国際収支、外貨準備高、対外債務、司法制度などの他、当該国の治安、政情、経済政策などといった定性要素を加味して判断される。」
   発展途上国など、内乱や政変や暴動、国有化など頻繁に起こっていたし、朝令暮改の優遇策や税制、それに国際法遵守など当てには出来ないし、とにかく、世界を知らない日本企業がヨチヨチ歩きながら果敢に海外に打って出たので無謀な海外進出も多かったが、リスク調査には余念がなかったし、今回のロシアに対するドイツのような無防備な対応などはあり得なかった。    
  
   全農グレインの川﨑浩之副社長が、「食料安全保障を重要と考えている国々のレベル感が変わった。地政学的なリスクをよくわきまえた上で、サプライチェーンを強化していくことが重要になってきている」と述べていたが、至極当然であろう。
   言い換えれば、地政学的なカントリーリスクやホスト国の政治経済社会情勢を十分に考慮して、サプライチェーンを構築するなど、貿易にしろ投融資にしろ、新時代に即応したグローバル対応に務めるべきと言うことであろう。
   今後、国際経済が、脱グローバル化して、ブロック化するなど、益々、分断されてくるので、自国だけでは自立不可能であり國際協力の中でしか生きていけない日本の立ち位置は、非常に微妙となり、更なる有効な対応が求められよう。
   グローバリゼーション下で構築されていたビジネス戦略や戦術を、脱グローバリゼーションと東西分裂の新冷戦時代に即応したパラダイムシフトが求められている。
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インフレ下の最低賃金引き上げ

2022年08月03日 | 政治・経済・社会
   NHKは、「最低賃金 過去最大31円引き上げ目安示す 厚生労働省の審議会」と報じた。
   今年度の最低賃金の引き上げについて議論してきた厚生労働省の審議会は、過去最大となる全国平均31円の引き上げを目安として示しました。
   現在、全国平均で時給930円となっている最低賃金の引き上げについて、労使の代表などが参加する厚生労働省の審議会は、1日夜、全国平均で31円、率にして3.3%引き上げるとする目安を示しました。
   引き上げ額は昨年度の28円を上回り、最低賃金が時給で示されるようになった2002年度以降で最大です。
   目安通りに引き上げられると全国平均で時給961円となります。

   問題は、いくら最大の引き上げ額であろうと、日本のバブル崩壊後の失われた30年で、経済成長がストップして給与賃金が全く上がらず、日本の最低賃金水準は、世界的に見て、異常に低水準であると言う現実である。
   それが、やっと目標の2%インフレが実現できたと思ったら、意図していたディマンドプルではなく、コストプッシュの悪性インフレであって、そのインフレ下での最低賃金のアップなので、焼け石に水に近い。

   まず、
   今回の最低賃金の議論では、引き上げ自体に争いはなかったものの、引き上げ額をめぐって労使の意見が大きく隔たり、こうした中、過去最大の引き上げとなったのは物価の上昇、中でも生活必需品の値上がり幅が大きいことを踏まえ、最低賃金に近い賃金水準で働く人の生計の維持を重視したことが要因だと言う。
   より高い賃上げを要求する「連合」としては、「連合が目標として掲げる『誰もが時給1000円』の実現に向けて一歩前進する目安だが、最低賃金の近くで働く人の状況を考えると十分な水準には到達しておらず、引き続き早急に引きあげる必要がある。」というのは勿論だが、
   日本商工会議所の三村会頭は
   「今回示された目安の額は、家計に対する足元の物価上昇の影響が強く考慮される一方、企業の支払い能力が厳しい現状については、十分反映されたとは言い難い。最低賃金の改定による影響を受けやすく、新型コロナの感染再拡大で影響が懸念される飲食業や宿泊業、原材料などの高騰を十分に価格転嫁できていない企業にとっては、非常に厳しい結果だ」と指摘し、そのうえで「政府には価格転嫁対策を一層、強力に進めてもらうとともに、生産性の向上に取り組む中小企業を支援する施策に十分な予算を確保するなど、自発的な賃上げに向けた環境整備を強く求める」とコメントした。事業を革新活性化できない負け犬の遠吠えである。

   前述の議論を反復すると、日本経済の根本的な問題は、為政者経営者の無為無策、怠慢によって、経済成長に見放されて、バブル崩壊後、失われた30年間に、日本国民の賃金が下降はしても全く上がっていないことである。

   下記に示すのは、資料出所 厚生労働省 「毎月勤労統計調査」による
   常用労働者1人平均月間現金給与額 1947年~2020年 年平均
   

   別の日本経済の成長の鈍化と賃上げストップの状況をBBCの資料を借りて示すと、
   
   

   更に、日本の最低賃金水準が、世界的にも、目も当てられないほど低いことは、次表を見れば一目瞭然。
   

   デフレ・スパイラル脱却のため、日本銀行はここ何年も、金融をだぶだぶに緩めて「2%の物価上昇」を目標に掲げてきた。
   物価を徐々に上げることによって、消費や、投資が増し、給与が上がって経済を活性化させることが目的だったが、全く効果はなかった。
   日本の消費者物価は今年4月、ついに2%の上昇を達成した。しかし、政府や日銀の意図していた消費者などの需要増ではなく、コロナ禍やウクライナでの戦争などの外的要因によるエネルギーや食料品の高騰、原材料価格の上昇などで、コストプッシュによるインフレーションであった。
   このことは、前述したように賃金や給与所得の上昇なきインフレであるから、もろに国民生活を直撃して圧迫する悪性インフレである。
   従って、益々、日本国民にとっては打撃となり、生活条件が悪化する。財源は兎も角、これを見越せなくて、公的年金を引き下げた政府の財政政策が、如何に稚拙か分かろうと言うことで救いようがない。

   失われた30年、経済成長も所得水準の向上も策せず、無為無策、日本の舵を取ってきた無能なトップに立つリーダーの責任は、途轍もなく大きい。
   まず、企業を成長発展に導けなくてゾンビ企業化した経営責任者など、日本経済を再建なり成長に貢献できなかった企業経営の体たらく、
   賃金給与など所得水準を上げ得なかった責任の大半は、この日本の経営者の無能故だと言っても過言ではなかろう。

   自民党政権の無能ぶりは、30年の日本経済の停滞が証明しており論を待たない。アベノミクスに懲りずに、良く分からない新しい資本主義と称したキシダノミクスを掲げて、経済成長発展を策そうとしているが、日本経済は、最早、そのような小手先の安普請では再建不可能である。
   以前に論じたが、例えば、資産課税を強化徹底し、累進税を加速して、強力に所得の平準化を徹底的に進めて需要を喚起するなど、日本経済の屋台骨を揺するほどの抜本的な改革を実施しなければ、ダメである。
   日本は、明治維新、敗戦、石油危機と円高等々、国難とも言うべき苦難に直面する度毎に、トインビーの説く「挑戦と応戦」によって活路を見だしてきた。
   日本全体が、茹でガエル状態で下降一途の境遇にありながら、太平天国に胡座をかいている今日のような状態では、失われた40年になり、50年になり、沈み行くのみである。

   毎年、季節になると、2円や3円を上げるか上げないか、労使が侃々諤々口角泡を飛ばす、このセレモニーの哀れさ悲しさ。
   貧乏人は麦を食えと言って所得倍増計画を推し進めた池田勇人、
   金権政治だと揶揄されながらも、日本列島改造論を推進した田中角栄、
   今昔の感である。
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岐路に立つ欧米型民主主義

2022年08月02日 | 政治・経済・社会
   NHKが、「混迷の世紀 プロローグ “プーチンの戦争” 世界はどこに向かうのか」を放映した。
   「安全保障」「グローバル経済」「民主主義」3点に絞っての特集だが、興味を持ったのは、岐路に立つ欧米型民主主義と言う視点で、フランシス・フクヤマが、冷戦終結後、世界は民主主義に向かい、「歴史は終わる」と考えて、民主主義の時代の到来を宣言したが、その民主主義が一枚岩ではなくて、分裂して暗礁に乗り上げていると言う現実である。

   冒頭に、EU=ヨーロッパ連合国家でありながら、欧米型の民主主義に背を向けて、“国益” “経済”を優先するハンガリーの現状を具に報道しているが、
   スウェーデンの研究機関が、世界の国や地域を対象に、公正な選挙、基本的人権、報道の自由などの観点から、民主主義の度合いを分析した結果の発表によると、自由で民主的だとされたのは60の国と地域で、それに対し、非民主的だとされたのは、100を超えていると言うのである。

   オバマ元大統領が、2022年6月コペンハーゲン民主主義サミットでの演説で、「ベルリンの壁が崩壊した後、必然的に民主的な世界が到来するという意識がありました。しかし、私たちは民主主義が必然ではなく、おのずと実現するものでもないことに気づかされました。それら(民主主義の訴え)は、貧困に陥っている何億もの人々の心には響きません。私たちは未来に生きる多くの人々のために、民主主義とその制度を立て直さなければいけません」と述べて、
   「自分たちが掲げてきた民主主義が、大きな岐路に立たされている」と、いま、各国のリーダーたちが、そのあり方を問い直している。と言うのである。

   フランシス・フクヤマは、民主主義を享受し続けられるか、どんな世紀を生きることになるのかと聞かれて、
   「近年、アメリカや他の民主主義国家が犯した失敗で、振り子が反対に振れてしまった。いまは移行期の真っただ中であり、かつてない地球規模の課題に直面して、新たな解決策が求められる世紀になる。」と無責任なことを言っている。

   数ヶ月前に、「世界の左傾化と民主主義の退潮」で、次のように書いた。
   前世紀から今世紀に掛けて、世界の政治経済社会体制の大きな変化は、欧米先進国流の自由主義的な民主主義の大きな後退である。
   その一方で、中国やロシアと言った国家資本主義的な専制国家体制なり左傾化した国家体制の国家の勢力が、急進している。
   これは、ICT革命とグローバリゼーションの進展によって、経済成長に対するメカニズムが大きく変ってしまったことによる。
   今や、新興国や発展途上国など遅れた国は、前世紀のロストウ流の余剰敷金を蓄積して経済をテイクオフすると言った成長段階をスキップして、国家資本主義的な計画経済手法によって、最先端の技術やノウハウを導入駆使して、経済と国家の発展を策することができるようになったのである。
   グローバル経済の拡大によって拡散した資本主義体制は、いずれの政治体制であろうとも、変形しつつも機能しているが、
   自由で平等を旨とする民主主義体制は、欧米日の成熟した先進国の政治経済社会の国家にしか、有効に機能しないと言う現状になってしまった。
   
   貧しい経済的に遅れた発展途上国にとっては、かっての中国同様に、専制であろうと独裁であろうと、計画経済であろうと市場経済であろうと、「黒い猫でも白い猫でも鼠を捕るのが良い猫」であって、経済発展して少しでも貧困状態から抜け出せれば良いのであって、民主主義と言った煩わしいドクトリンなど無意味であって、人権などと言ったことには全く関心がない。
   尤も、これらの民主主義体制から逸脱した国々は、公正な選挙、基本的人権、報道の自由などの観点から、民主主義の度合いが低いということであって、中国やロシア側について、欧米先進国から離れていくのかと言うことは、全く別次元の問題であって、前述の勢力図の色分けに固守するのは間違いである。
  
   長い苦難と歴史を積み上げて、自由で公正な人権重視のシチズンシップ社会を築き上げて育んできた民主主義は、成熟した西側先進国の貴重な歴史遺産であって、最早、化石と化したのか、
   遅れて成長発展を指向する新興国や発展途上国には、その余裕がなくて、幸いICT革命とグローバリゼーションの進展によって、独裁的専制的なシステムでショートカットでキャッチアップする道が開けた。欧米流の民主主義には、無関心であって一顧だにする気配さえない。
   after democracy, post democracyと言うか、脱民主主義時代を想定しなければならなくなった。

   
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