今も昔も神奈川県に住んでいる私にとって、西武という路線には何故かのめり込むきっかけがなく、縁遠い状況が続いております。ならば東武も神奈川県から遠いのだから同じく縁が遠いのではないか……ということにもなりそうですが、そこらへんはあくまで趣味の問題 (^^;)。半鋼製釣掛式電車党として各地の路線を巡り歩き始めた中学生の頃、東武73・78・57系は垂涎の的でしたが、西武は当時いちおう釣掛天国ながらも、ごく一部を除いて半鋼製車を整理し終えつつある段階でしたので、どうもピンと来なかったのでした (子会社の伊豆箱根大雄山線は当時西武旧型テイストにあふれており、それで満足してしまったこともあります ^_^;)。もちろん、今にして思えば、赤い時代の西武をもっと訪れておきたかった……という後悔の念でいっぱいです 。実際には僅かな小遣いの予算制約ゆえに難しかったのですが (^^;
しかし、そんな私と西武の関係には、いくつかの例外がございます。その一つは、秩父へ向かう際の定番ルート・東飯能=西武秩父間のボックスシート&山岳風景の旅です (^o^)。これは一度やったらやめられません。そしてもう一つは西武多摩川線。この沿線に限って、個人的に仕事上の用事がたまにあったり、友人宅があったり……ということで、西武の中では最も利用回数が多かったりします。しかも、各駅ともローカルムードがあふれ、走る車両は全て西武顔の101系ともなれば……それはまさに都会の中のオアシス。そんな西武多摩川線の90周年にあたり全編成にHMがついているとのことですので、仕事が早朝から午前中で終わった去る木曜日、京王武蔵野台→白糸台をスタートに撮り歩いてみました。
北多磨改め白糸台を発車する是政行を踏切から望遠撮影するシーン (1枚目) は、西武多摩川線の中でも個人的に最もお気に入りのアングルですが (^o^)、ここの最大の難点は、ピーカン晴れですと架線の極めて複雑な影が車体に落ちまくってしまうことです。レタッチで気合いを入れれば消すことも不可能ではありませんが、以前一度やったら2時間近くかかりました (爆)。というわけで、曇りの日がベストでありますが、この日は特に暗く、被写界深度を確保するためのピント位置決めに苦労しました……。まあ、取りあえずHMを付けているシーンがきちんと写っていれば、記録としては一安心という感じです (^^;
そして2枚目は新小金井での交換シーン。一応、90周年記念キャンペーン (?) 中はすべての編成にHMが装着されているのですが、両端にHMあり→2編成、是政方のみHM→1編成、武蔵境方のみHM→1編成ということで……「両端にHMあり編成」のうち1本が白糸台で昼寝をしていたこの日、新小金井でのHM編成並びシーン撮影は、36分に1回のみということで、非効率を極めました……(-_-)。しかも、午後2時半を過ぎるとひときわ暗く、ISO400・1/60秒・f5.6なんてもう信じられません (T_T)。これだから冬至間際の暗い天気は困りますね……。この並びの当初は、構内踏切がしばらく開いていたこともあって、突然コンデジを持った中学生2人組やオッサンが画面内に「乱入」し、延々とこのときを待ち続けた私は頭に血が上る思いで絶句するほかありませんでしたが (-_-メ;;)、再び踏切が閉まり、発車までの数秒間のあいだに何とか期待通りのカットを得ることが出来たのでした……。
ともあれ、期間限定シーンをうまく撮れるか否かでカリカリするのは撮り鉄の愚かな性ということで (^^;)、西武多摩川線の90周年企画そのものは、各駅に手作りオリジナルの掲示が掲げられている点で何ともほのぼのとした風情が漂うものでした (^^)。とくに……是政駅構内での砂利運搬に従事していたナローの写真に感激!
それにしても、相鉄といい西武多摩川線といい、ふたつの砂利運搬鉄道が時をほぼ同じくして90周年というのは不思議な縁かも知れません。1917年といえば……第一次大戦・大正の御代で、日本は景気が良く、建設需要が高まっていた頃。しかし今やダムの増加で川砂利も枯渇し、採掘禁止となって久しく、鉄道によるセメント輸送すら激減してしまい、貨物大好き人間にとっては寂しい限りです。