
昨日の『朝日新聞』が伝えるところによりますと、伝統の東海道夜行鈍行を引き継ぎ走り続けてきた「ムーンライトながら」が来春のダイヤ改正を限りに原則として廃止され、盆・正月オンリーの完全臨時列車とされるようです (373系の画像が、今はなき「特急東海」のものしかなくてスミマセン ^^;)。まだ「そのような方向で検討中」とのことでしたが、これまで『朝日新聞』が口火を切って報道してきた伝統列車の引退・廃止の話題は、全てその数ヶ月後のダイヤ改正で本当になっていますから、これはJR各社間の直通列車調整会議にかけられた話題であることに間違いないのでしょう……。
個人的には、このスジには特に165系の大垣夜行時代に大いにお世話になっているだけに、今回の廃止の報は非常に感慨深いものがあります……。各地の釣掛式電車を求めて行脚しようにも軍資金が極めて限られていた中学・高校時代、18きっぷやワイド・ミニ周遊券で利用できる大垣夜行は、どれほど心強い存在だったことでしょうか……。しかも、全車指定席化された現在の「ながら」とは違い、165系時代の大垣夜行は数時間前から東京駅に並びさえすれば必ず一夜の座席を確保出来ましたので、学校の休み期間中に天気予報とにらめっこしながら「それっ」と決断して遠征することが可能でした (今は18きっぷ期間中、それが出来ないからなぁ……)。もちろん、東京駅で夜の7時か8時頃から並ぶという選択と、指定券が確保されているため発車直前に悠々と……という選択のどちらが良いかと問われれば、圧倒的多数の方は後者かも知れませんが、個人的には丸の内の夜景や行き交う電車を眺めながら数時間のんびりするのも、旅の序曲としてかけがえのないひとときだったと思います……。
まぁ、そうやって必死に並んだのも、とくに18きっぷの存在がメジャーになりはじめて徐々に大垣夜行の混雑が増していった80年代後半、救済のために登場した臨時大垣夜行が往々にして113系で運行されており (たぶん田町の167系が他の海水浴臨など波動用輸送でひっぱりだこだったからでしょう)、同じ一夜を過ごすならばコイルバネで椅子が狭い113系よりも、空気バネで急行用座席の165系に乗りたい、と思ったからでした (^^;)。いまの「ムーンライトながら91号」とは異なり、113系の臨時大垣夜行は大垣到着が遅い時間だったこともあり……。(とか何とか言いながら、165/167系湘南色のカットが手許にないことが発覚 ^^; そこで、静岡の113系8連の画像を2枚目に……^^;)
いざ東京駅でドアが開き、座席を確実にゲットした後は、そこはもう一夜の城 (笑)。閑散期は1~2人でワンボックスを占拠することも可能でしたが、混雑期はもちろん忍の一字で同じポーズで眠らなければなりません。それでも、小田原発車後の途中全駅到着時刻車内放送、静岡での駅弁販売の声、最も長くて苦痛な静岡→浜松ノンストップ……といった通過儀礼を経て、浜松駅のホームで顔を洗った後は、気分は非日常の朝! 浜名湖が見えて名鉄電車も見え……。そんな一部始終が165系の重厚な走りとともにあり、旅へのロマンがますますかき立てられずにはいられなかったのでした。
ちなみに、静岡→浜松ノンストップも、夏の南アルプス登山最盛期には金谷で臨時停車し、漆黒の闇の中で薄暗い車内灯を灯している大井川鉄道の旧型車の姿にホッとする一幕もありました。この真夜中の臨時電車は千頭で臨時井川行に連絡し、さらに井川から畑薙第一ダム行バスに連絡するという濃いぃ存在でしたが、南アルプス南部へのアプローチは道路整備により静岡からの静鉄バスに代わり……。
おっと話題がそれてしまった (^^;)。いっぽう、悪名高き「大垣ダッシュ」を10代の頃に経験してしまったことで、「万人の万人に対する闘争」という言葉をひしひしと感じてしまったのでした (笑)。数年前、大垣駅前にある某女社長系ホテルに泊まった際、わざと目覚ましを早い時間に設定して、東海道線ヴューの部屋から「91号」の到着シーンを眺めてみたところ……跨線橋の上がトップランナーの猛ダッシュとその後の人の波で、早朝から凄惨な光景が展開しているのが何とも印象的でした (爆)。
大学に入ってからは、18きっぷ利用ではなく晴れて周遊券利用ということで、繁忙期に18きっぱーを尻目にグリーン車を利用するというプチ贅沢を体験 (*^^*)。客が埋まった165系のサロは、「2等車」が在来線輸送の花形として君臨していた時代を彷彿とさせるものがありました……。18きっぷシーズンの激しい混雑を嫌う人でグリーン車の人気は高く、全席自由席といいながら当日早めにみどりの窓口のマルスで大垣夜行グリーン券を購入しなければありつけなかった……という不文律があったのも懐かしいですね。
また、個人的に忘れられないのは、生まれて初めての海外旅行の際にも大垣夜行を利用したことです。名古屋まで大垣夜行で向かった後、近鉄特急・四つ橋線・ポートライナーを乗り継ぎ、大阪南港から上海行の船(中国への格安航空券がなかった頃のバックパッカーの御用達・鑑真号)に乗ったのですが、18きっぷ期間入り直前ということで1ボックスを占拠し、未知の貧乏旅行に踏み出した興奮を覚えながらも、不安で不安で仕方がなかったのも懐かしい思い出です (^^;

しかし……373系「ムーンライトながら」となってからの大垣夜行は……うーむ、165系時代ほどの印象が個人的にないのは気のせいでしょうか (汗)。ワイド・ミニ周遊券の廃止や大垣まで (一部小田原まで) の指定席化に伴って、18きっぷシーズンであろうとなかろうと使い勝手が悪くなってしまったことに加え、旅情が165系に比べると薄いような気が……。また、373系はデッキがないことから、一度真冬にデッキ近くの席に当たったときには寒くてコリゴリでした。
そんなこんなで、最近「ながら」に乗ったのは3~4年に一度、非18きっぷシーズンに名古屋に出張するついでに、早朝から名古屋近辺で撮り鉄をしようと思ったときだけです (^^;)。気が付いてみれば、どこかに旅行するにも軍資金はそれなりにあることから、「ながら」ではなく新幹線を利用することが当たり前になってしまい、18きっぷも最近ほとんど買っていない……。
というわけで、すっかり大垣夜行あらため「ながら」に縁遠くなってしまった私にとっては、廃止(多客臨化)はそれほど痛痒いわけではありません (むしろ、寝ながら関西に行ける「銀河」の廃止の方が痛いです)。しかし、大垣夜行のスジは今後本格的に鉄道旅行・鉄道趣味の世界に入って行こうとする10・20代にとっては最良の教科書的存在だと思いますので、これからの世代が「大垣夜行という原体験」と無縁となるのは少々哀れだという気がします。まぁ、東京駅や品川駅での長時間整列や、ボックスシートでの忍耐という儀礼がなくなった時点で、既に165系時代と同じ「原体験」でないのは確かでしょう。それでも、鉄道趣味の世界で「大垣夜行を知っている世代」と「知らない世代」のあいだに巨大な落差が生じることは疑いもなく、今後そのことがどう影響するようになるのか注目する必要があるでしょう。
もっとも、そういうことを考え始めますと、「SLの現役時代をよく覚えているか」「周遊券+長距離急行黄金時代を覚えているか」「旧型国電をよく覚えているか」……といった感じで、いくつもの巨大な落差が鉄道趣味界に生じてきたわけで、今後他にも「103・113・115系をよく覚えているか」「釣掛式電車に乗ったことがあるか」さらには「VVVFではない電車に乗ったことがあるか」といったことがクローズアップされるのかも知れません (汗)。
鉄道趣味は一国の発展や社会の変化と表裏一体である以上、「ながら」廃止の背景とその影響がこれから熱く語られるのかも知れません。私自身はただの侘び寂びな撮り鉄ですので、そこに深入りしようとは全く思わないのですが、とりあえず大きな要因としては……とくに非18きっぷシーズンの乗車率の低さ (名古屋止まり編成など、車内に数人しか乗っていないのもザラ) と、モーダルシフトで逼迫する鉄道コンテナ貨物事情とのあいだのバランスが余りにも悪く、同じ線路容量ならば貨物に譲った方が良かろう、という判断があるのかも知れません。これに加えて、夜行バスや安いツアーバスの急速な拡大という、他の長距離列車の命脈を大いに左右した事情も勿論あるでしょう。まぁ、これも世の流れとはいえ、寂しいことではあります。(※この記事はもっぱら個人的趣味の角度からつづっており、多忙の中でムズカシイ議論はしたくありませんので、廃止背景&影響論に関するコメントはご遠慮下さい)