地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

横浜線100周年・205系と巨大HM

2008-09-23 10:27:59 | 国鉄型車両


 東神奈川から八王子まで、横浜市北部の丘陵地帯や相模原の台地を貫いている横浜線は、元はといえば日本の一大輸出品だった絹糸を関東内陸部から横浜港にダイレクトで運ぶための鉄道であり、1970年代までは駅間がかなり長い単線を旧型国電がのんびりと走っておりました。私も幼い頃、確か1~2度くらい横浜線内で73系に乗ったことがありますが (根岸線内ではもっと乗ってます)、当時は電車も駅も実にシブかったですね……。さらに昔の写真を見ていますと、60年代末~70年代はじめ頃まではSL貨物列車も運行されていたというからびっくりです (^^;
 しかし70年代後半、山手線や京浜東北線から103系が次々に転入し、驚異的な混色編成のオンパレードとなった頃から、横浜線は劇的に変わって行きました。首都圏近郊の宅地開発が、それまでの東京中心の放射状路線網から、さらに外郭部を取り囲む路線網へと急速に及んだのがこの時代。4両編成も珍しくなく、20~30分くらい間隔が開くこともあった横浜線が、いつの間にか相原以南全線複線・103系7連による頻繁運転へと変わり、国鉄末期には数少ない黒字路線として、山手線に次ぐくらいの優良な営業係数をたたき出すほどになっていたのを思い出します。その後のさらなる発展は、いち早く205系で統一され、さらに6ドア車が増結されたことからも推して知るべしでしょう。



 まぁ、個人的にはやっぱり横浜線といえば73系や103系の頃が一番面白く、八王子みなみ野などという取って付けたような駅 (爆) が影も形もなかった頃、相原~片倉間のトンネルを抜けると延々と続く谷戸田の緑の風景の中、103系の窓を開けて朝の新鮮な空気を感じるのが結構好きでした (笑)。また、相模線が非電化だった頃は、夏の海水浴シーズン限定で茅ヶ崎所属のキハ30・35が「かっぱ号」と称して八王子まで乗り入れており、ふだんは103系の7連が行く架線下をキハ30・35の2連で通過するというミョーな間隔を味わったものです (いまそんな列車があれば沿線はパニックになりそうですが……やっぱキハ30・35だからならないか ^^;)。
 というわけで、205系の世界となってからの横浜線には、個人的にほとんど興味を持てないままだったのですが (201系や205系の黒マスク、表情が薄い……。走行音は好きですが ^^;)、このたび100周年にあたり、103系時代の誤乗防止大型HMに似せた記念HMが現れたとは嬉しいニュースではありませんか! 
 そこで、既に他の多くのHPやブログで伝えられているところで、話題としての新鮮味は全くないかも知れませんが、私も今月上旬、機会をみて記録してみました。出来れば、残り少ない正面幕車にHMを装着してくれよ……と思ったのですが、正面右上の「横浜線」幕表示とダブるので避けられたのかも知れません。
 ちなみに、100周年記念キャンペーンの各種掲示では、73系の近代化改造車顔も前面に押し出されてPR中……というわけで、205系の全面に茶色ラッピングを施し「懐かしのゲタ電……なんちゃって」という企画をやって欲しいものです。「似合わねー」という声が聞こえて来そうですね……(^^;)。こんな妄想を思いつくのは私だけかも、ということでスミマセン (^^;;;;;;