先月末に会社創立90周年を迎えた長野電鉄は、当初「信越線が通らない千曲川右岸にも鉄道を!」という熱意とともに発足した河東鉄道を母体とし、後から創立され資本関係を同じくする長野電気鉄道が合流して現在の商号となっているとのことですが(RP誌の1984年・東海甲信ローカル私鉄特集による)、その後の長電の歴史は、屋代ルートから長野ルートへと主な経営資源が変遷しつつ展開してきたのは周知の通りです(いや、上述の合流の時点でそうだったのかも ^^; 特に貨物輸送と急行「志賀」の廃止は、屋代~須坂間にとって致命的だったと思われます)。のち、信州中野~木島間廃止を機に、それまでは長野~須坂間を指していた長野線という名称が、ついに河東線の須坂~信州中野間および山ノ内線を乗っ取るかたちとなり、須坂~屋代間も河東線から屋代線へと改められて今日に至っています。
そんな長電の現状は、県都長野近郊の通勤・通学需要をつなぎとめて的確に収益を確保しながら、同時にイメージシンボルとしての特急列車を保ち、「全国鉄道網との連絡線」屋代線を辛うじて維持するというものとなっているように思われます。そこで稼ぎ頭として、東急8500系3連が大量 (?) 投入されたのは、まことに適切な判断だと言えましょう(というのは東急8000系列ファンの単なる思い込みかも知れませんが ^^;)。
というわけで、先日撮影した長電車両陣をアップするにあたっては、「お約束」通りに1000系「ゆけむり」、そしてJRE253系購入決定でついに引退が決まった2000系から扱うのではなく、そんな長電の現状と個人的思い込みを勝手に絡め合わせて8500系から参ります (爆)。そんな8500系の中でも、個人的に最もお気に入りなのが……T6編成(*^O^*)。何と言っても「なんちゃって貫通路」ですし、ヘッドマークステイとの兼ね合い上から車番が東急8000系と同じ位置にあるという珍車ですぜ旦那! (笑)
前にも記しました通り、今般の創立90周年HM装着はT6編成の晴れ舞台到来を意味するわけで、公式HPで当初告知された装着開始日である先月28日には喜び勇んで長電を訪ねたものですが……T6編成は朝のラッシュを終えたのち須坂に入庫する運用に入っており (長野823発)、2000系A・D編成を含めどの編成にも記念HMが付かなかったという……(T_T)。しかも、記念HMは結局のところ90周年記念日である先月30日以後、2000系D編成を皮切りに装着されているそうで……(最初からそうだと告知してくれれば良いのに。いや……何となく「フライング気味な装着開始で良いのか?」という疑問が脳裏をよぎったのものですが、とにもかくにも当初「28日から」と表示していた公式HPに最大の問題が……)。
とまぁこんな感じで、空振りに終わってしまった徒労感が未だにじっとりと残るため、思わず繰り言を並べてしまいましたが (爆)、とりあえずT6編成の入庫シーンをたった一人じっくりと激写出来たのは良かったなぁと自分自身を納得させるようにしております……。とはいえ、もう一つ遺憾な点として……たまたま陰ってしまったのは痛い! (苦笑) 空気が爽やかに澄んだこの日の須坂界隈は、陽が差しさえすれば最高にドラマチックな雰囲気でしたので……。