地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

長野電鉄屋代線、廃止決定・・・

2011-02-03 13:19:00 | 地方民鉄 (甲信)


 農暦新年あけましておめでたい……はずですが、「春なのに、お別れですか」と切なく唱う名曲もございます。来年の今頃には、残念ながらまたもそんな別れが待っているようで……『信濃毎日新聞』など長野発の報道が伝えるところによりますと、長らく圧倒的な赤字が累積していた長電河東線(須坂以南)あらため屋代線の廃止が、昨日開催された活性化協議会の場で決まったとのことです。
 建設当初の存在目的であった千曲川右岸=河東地区の物産輸送は、鉄道貨物輸送の没落のみならず80年代における車扱貨物の壊滅によって消し飛び、首都圏から志賀温泉郷への短絡ルートという存在意義も、モータリゼーションによる国鉄からの直通急行列車の利用客減・廃止、そして信越線の碓氷峠分断によって原理的に存在しなくなった中、河東線も須坂から南は屋代線という現実を反映した名称に改められ、単純に河東地区に点在する街や集落を結ぶだけの存在に転落して久しい状況が続いてきました。しかし、千曲川のすぐ向こう側にある長野市街に向かうにもわざわざ須坂や屋代を経由しなければならない屋代線に、集客の魅力があるとは到底思えず、乗ってみても空気輸送……。挽回策として昨年夏に実施された増発(一部バス)の社会実験も、結局芳しい結果を得られなかったのでしょう。



 一人の鉄道ファンとしては、非冷房鯨が昔ながらの風情あふれる駅に停まりつつ、緑濃き田園風景の中を疾走する光景はとても魅力的で、ローカル私鉄シーンがまた一つ消えて行くことに悲しみを禁じ得ないものですが、冷静に考えればこの路線の社会的な存在意義は既に終焉しているとしか思えないのも事実です……。
 長電は毎年莫大な赤字を計上しながら、よくもまぁこのような路線を維持してきたものだ・・・と思うのですが、その主要な存在意義のひとつとして、他でもない全国鉄道網との連結があるのでしょう。しかし、ここのところ急ピッチで車両置き換えを進めて来た長電としては、253系あらため2100系の導入によって特急車両の世代交代を完成させ、長野~信州中野間の主力車両として3連をあと数編成導入しさえすれば、新規車両を須坂に搬入するための「長大引き込み線」を維持する必要は一気に減少するのも事実。あとは3500系非冷房車 (O編成) の置き換え必要性を屋代線廃止によって帳消しにして、冷房車 (N編成) を中野~湯田中用として2~3本確保すれば、一連の体質改善は全て完了!という算盤を弾いているのでしょうか。まことに、3500系の老朽化と中古車導入計画の進行そのものが、屋代線の命運を決定づける一因となっているのかも知れません。
 そこで、屋代にある長電テクニカルサービスは一体どうなる?ということになりそうですが、単にしな鉄車両の検査請負のため、そして須坂からトラック輸送した部品をメインテナンスするための施設になるのでしょうか。廃止後「長大引き込み線」を維持するコストもそれなりにかかるでしょうから、新車の搬入もJR長野工場あたりからの陸送になることでしょう……。
 屋代線廃止後の長電は、昭和50年代以降に製造された車両で朝夕のラッシュをはじめほとんどの輸送をこなす、地方私鉄としては見違える陣容の路線となることでしょう。そのように脱皮するため、そして長期的には長野口の輸送需要も減退して行くことが否めないため、最大の負担であった屋代線の命運が絶たれる・・・これもまた、昭和が遠くなりにける日本の縮図なのかも知れません。