地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

淡雪の神奈臨千鳥線 (下) 東線運行!

2011-02-23 00:00:00 | 貨物列車 (神奈臨)


 約1週間前の神奈臨千鳥線訪問は、単に旧塗装出目金+エチレンコキ5車の豪華編成を雪化粧の中で撮影したのみならず、もう一つの超!感動的なシーンに恵まれました♪ 何と……長年来滅多に運行されないことで知る人ぞ知る (?) 存在であった千鳥東線でも、エデト酸塩コキが運行されたのです!! v(^O^)v
 千鳥線が運河を渡って千鳥町界隈に入る際、通常は右にカーブを切って大踏切を渡り西群線ヤードへと入って行きますが、これとは別に大通りに沿って直進する線路があり、千鳥東線と通称されています。この路線、開設当初は油脂会社に入る小運転もあったようですが、私が臨海鉄道趣味にハマるようになった7~8年前の時点では、先端部が東電前バス停の脇で忽然と絶たれており、大部分の区間は石油輸送閑散期にタキ35000が大量に放置されるスペースとして利用されているに過ぎなかったのでした……。いっぽう本線に近い区間(日触前バス停付近) は、S電工引き込み線へと出入りする青化ソーダ用タキ22900 (コキ転換後から二本木貨物廃止までの短い期間にはタンクコンテナコキ) がごく稀に出入りしており、一度出入りが始まると週2~3回の割合で運行されたことから、そのような機会に遭遇するたびにごく一部の方々と激しく盛り上がったものです (懐かしい……)。しかし、2006年頃までにその運行もパタリと止まり、S電工への引込線分岐の先は線路そのものが撤去され、用地は火力発電所から発生する高温蒸気を周辺工場に分配する配管のスペースとして流用……。そこで「やがてこの配管は本線との分岐付近まで延び、千鳥東線そのものが消滅してしまうのではないか?」と懸念したものですが、幸いにしてS電工引込線から北西の区間では配管が線路を避けて設置され、「やれやれ、激レア線ヲタにとって最悪の事態は避けられた……」と胸をなで下ろした次第です。



 しかし、その後も長らく東線の線路が真っ赤に錆び付いた状態が続き、203~204レ撮影や甲種撮影で千鳥町を訪ねる度に「う~ん、やっぱり復活はムリか」と思うこともしばしば。ところが、確か1年~1年半ほど前でしょうか、レールが削られた跡とともに、貨車門の奥には小振りなタンクコンテナを載せたコキの姿が! それを目撃した瞬間、どれほど内心「よっしゃぁ~!」と叫んだことでしょうか (笑)。しかし、かつてS電工の青化ソーダタキ・コキ出し入れで用いられた204レにそのコキが連結されることは結局なく、早朝の202レでの出し入れに変更されたのだろうか……と落胆。というわけで、結局撮らないままズルズルと……(汗)。
 その後、新たに輸送が始まったこのタンクコンテナの中味はエデト酸塩 (EDTA。私は化学には詳しくないのですが、保存料等の原料とか) であることが判明し、しかもとある情報筋の方 (お世話になっております!) から伝え聞くところでは、商売繁盛につき最近割とまめに運行されている雰囲気らしい……とのこと。そこで今回、あわよくば東線の出入りもあり、しかも淡雪との組み合わせという究極のレアシーンも満喫出来るのではないか??と期待していたところ、果たせるかな、市営埠頭行きバスの車内から貨車門の奥にコキが留置されているのを確認! そして……201レ・エチレンコキ撮影を終えて日触前バス停まで出て来たところ、何と貨車門が開いているではありませんか!\(^O^)/  間もなく、大踏切を渡り終え千鳥運河鉄橋にて折り返したDD5517単機は、いよいよ東線に入線!! (1枚目の画像) デッキ上には操車担当氏が4名、そしてバラストにはほんのうっすらと雪……。そんな超激レアシーンの豪華絢爛さにはメロメロです (笑)。そしてエデト酸塩コキを連結したDD5517は、力強く唸りを上げて川崎貨物へと帰って行ったのでした……。
 201レが西群線ヤードに現れてから、202レが千鳥運河を渡りきるまで約25分。その間とにかくシャッターチャンスを求めて走り回りましたが、日頃の運動不足がたたってしばらく筋肉痛に……(笑)。貨物撮影はまさにスポーツです。