地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

変動期の205系 (6) 相模線500番台

2011-11-10 00:00:00 | 国鉄型車両


 登場から20数年を経て様々な理由による廃車・改造・転配が続く205系ですが、一方では登場以来全く姿形を変えずに淡々と走り続ける、偉大なるマンネリを地で行くような車両も存在します。そう……相模線の500番台! 
 相模線はもともと鉄道省由来の路線ではなく、戦時買収により省線化されたという経緯があり(いまの相鉄線は零細な砂利運搬鉄道の神中鉄道として発足。経営難ゆえ昭和18年にいまの相模線である相模鉄道に吸収合併。相模線の国有化でその商号は旧神中鉄道が引き継ぐかたちに)、当時の腹づもりとしては一応東海道線と中央線のバイパス路線とする目的もあったとか。しかし実際には、旅客・貨物ともそういう流動は決して多いとは言えず、むしろ沿線の軍事基地や軍需工場への輸送に主な眼目が置かれていたのでしょう。そこで、旅客列車は長年ほとんど線内完結であったほか、貨物列車は軍事目的(相鉄直通→相模大塚駅構外側線=航空隊線を経由して厚木基地にガソリン輸送。及び相武台下駅でのキャンプ座間関連輸送)やセメント輸送(ニセ厚木にセメントヤードがあったほか、相鉄へ継走)に終始していたように記憶しております(相武台下で他に日産座間工場製の自動車輸送をやっていた時期もあったようななかったような……^^; あと、西寒川は貨物扱いをしていた時期があったのでしたっけ?)。最近の一部列車の八王子延長は、電化と本数増による沿線宅地の増加をうけて八王子への直通需要が増えてからのものであり、非電化時代の八王子直通列車といえば海水浴臨「かっぱ号」くらいしかなかったのではないかと……(昭和40年代以前の状況は詳しくなくて失礼 ^^;)。



 というわけで、首都圏の国鉄~JR鉄道網の一端を形成しておきながら、まさに辺縁部を走っていることもあって孤立した地方ローカル線という色彩を濃厚に帯びているのが相模線。DC時代はキハ17やキハ30・35といったボロい車両の巣窟だったようですし (さすがに80年代はキハ30・35に統一)、排気ガスで真っ黒に汚れた車内にてモケットを指で弾くと真っ茶色の土埃が速攻で大量に浮きまくるという壮絶な世界が展開していたものです (滝汗)。さすがにJR化後のキハ30・35の晩年は、内外装とも手を入れられだいぶマシな雰囲気となりましたが、それでも通学時に毎日小田急の車内から見かけていた相模線のDCには、自分が乗っている釣掛4000形と比べても圧倒的な凄み (?) があったのを思い出します (^^;
 そんな相模線も1991年に電化され、突然ピッカピカの205系500番台が新製投入されましたが、ウワサの相鉄乗り入れ仕様として相鉄9000系近似のマスクを特別にしつらえていたことから、もう本当に腰が抜けるほど驚いたのを思い出します……。しかし、こうして「孤立路線」としての相模線が突如イメチェンした結果、相模線からそう遠くないところに住んでいる私の脳裏において相模線は「永遠不変の新型路線」となり、趣味的な関心が向くことはほとんどなく……(^^;)。
 それでも気がついてみれば、今年は相模線電化=205系500番台登場からちょうど20年! この車両は今でも脳内では「新型電車」のはずであるのに、いつの間にか首都圏全体では「走るんです」軍団が席巻していることから、今やそんな「新型電車」205系500番台すらシブいオーラを感じられるのです……。そこで先週末の骨折リハビリ鉄では、小田急→相鉄ニセ厚木と巡ったついでに、これまでろくに撮り貯めていない205系500番台にもレンズを向けてみた次第です。放っておくといつの間にかさらに年月が経ち、気がついてみれば近所の車両であるにもかかわらず廃車直前まで全然撮っていないということにもなりかねませんので……(^^;
 とはいえ相模線は、如何せん私鉄ローカル線が出自であるだけに島式ホームの駅ばかりで、沿線も架線柱・民家・雑草がゴチャゴチャとしており、撮りやすい駅・場所は非常に少ないという……。そこで取り敢えずニセ厚木から原当麻まで乗って、かぶりつきロケハンをしてみたのですが、辛うじて撮りやすそうだと思われたのは電化・高架駅化により面目を一新した原当麻。それでもセイタカアワダチソウ繁茂……。天気もドン曇りとなってしまいましたので、ちょこっと撮ったあとで相模大野行きのバス (大15・相模大野~原当麻~上溝。毎時1本。昔はもっと走っていたはずですが……) に乗って帰って来てしまいました (^^;)。今後少しずつ撮り貯めて行きたいところですね……。

 (以下、相模線とは全く無関係) ちなみに、このとき乗ったバスはエアロスター様で、恐る恐るヲタシートに座ってみたところ、何と膝を曲げて座ることが出来てしまいました♪ う~ん、さすが何事もゆったりとしたエアロスター様だからこそですが (ヲタシートが狭いエルガや西工に当たったとしたら先週末の段階ではまだ座れなかったかも)、着実にリハビリが進みつつあるなぁ……と実感した次第です。
 その後相模大野では、久しぶりにヲタシートに座ることが出来た嬉しさの勢いで (?) 某神奈中系ラーメン屋に入り、遅い昼メシとしたのですが、頼んだブツが来るまでの暇つぶしに店内の様子を眺めていたところ、原材料のこだわりの仕入れ元に関するディスプレイが。何と……天然塩は南モンゴル・ジャルタイ (中国名→内蒙古・吉蘭泰) 塩田産とは……。この塩田へは包蘭線・烏海西あたりから長~い専用線が伸びており、むかしのCNR時刻表には路用列車(主に鉄道・鉱山労働者の輸送に供される鈍行)の時刻が載っていたものです。そのナゾな雰囲気には大いにそそられたものですが、今でも走っているのだろうか……と。