戦後は既に70年以上。それとともに、日本が見果てぬ幻想の王道楽土に築いた大満鉄を支えた人々も世を去られました。また当然のことながら、満鉄の車両もごく一部が中国で現存するのみとなり、1990年前後まで中国国鉄の各地で満鉄客車や勝利・解放型SLが見られたのも昔話となりました。今や、中国で日々稼働する満鉄車両といえば、撫順等のELや歪頭山の客車のみとなり (鉄法の客車は単なる動態保存)、戦争に勝とうが負けようが鉄道車両と人事には諸行無常という言葉が必ず当てはまるようです。
だからこそ、何故か酷寒の曠野から遠く離れた暑熱のベトナムにて、車齢80年前後 (あるいはそれ以上?) になる満鉄客車が毎日運転されているという事実は、ますます驚嘆に値するように思われます。その実情につきましては、私も既に2012年の3月に目睹するを得まして、時空を越えた偶然の積み重なりが生みだした奇想天外な浪漫に満ちた光景にただただ圧倒されるばかりでしたが、その後さらに緑皮を脱してトリコロールカラーのベトナム国鉄新塗装 (かつてベトナムを支配した植民地宗主国おフランスの色とは……) に衣替えしたというから驚きです……。とはいえ、何時まで走るか全く分からず、今すぐ消えても全くおかしくありません (実際今回は、かつて中国からプレゼントされた8両のうち2両が、廃車前提の放置状態となっているのを目撃しました)。
というわけで、鶴丸航空のたまったマイレージを使わなければ失効分が発生するというタイミングで、ちょうどハノイまで往復可能なマイルが貯まっていたのを奇貨として、金曜夕方出発、月曜朝帰国、鉄活動時間2日という、超とんぼ帰りベトナム訪問をして参りました。
もっとも、今回は同時に、世紀の珍車・ソウルメトロ使用急行も楽しむ腹づもりだったのですが、僅か20数日前の5月21日に実施されたダイヤ改正にて、メーターゲージ列車のハイフォン・クアンチエウ・ラオカイ行き各一本と共に廃止となってしまい、僅か約1年の露と消えたのでした……(T_T)。まぁ、これほど高速バスが発達しつつあるベトナムにおいて、ハノイ市中心部まで乗り入れできない近郊急行列車なんて絶対に流行らないよな……と。登場当初は物珍しさから多少は客が入ったものの、頻発するバスとの競争にあっさりと破れ、次第にジリ貧になっていったものと想像しています。まぁこの列車につきましては、もとよりソウルメトロ愛が炸裂した『西船junctionどっと混む』様にてお楽しみ頂きましょう……(私は所詮ウリナラへの愛が全然足りないので、こういう運命になったものと割り切ることにしました ^_^;)。
それはさておき、肝心の満鉄客車によるイエンビエン~ハロン行商列車は、これまで通り毎日運転されています。しかし今回は、唯一の普通座席車であるB41001が運用を外れており (検査と思われます)、全車両が行商客車+荷物車……。居住性に難があり、メッチャ混んでいて疲れました……。とりわけ、人間の生存には厳しいと思えるほどの激烈な暑さと湿気……(@o@;;)。息をするのも苦しいサウナ状態での鉄活動でしたので、暑さよりも寒さの方が良い私はもうヘロヘロ……過去最酷の鉄活動でした……。それでも何とか乗って撮りまくりましたので、その模様を備忘録的にアップして参ります。まずは、今回の2枚の画像から、まさに息が詰まりそうなほどの想像を絶する蒸し暑い空気感を感じ取って頂ければと存じます……。
また今回は前回訪問時と同様、ザーラム駅を出入りする、ハノイ以北のメーターゲージ列車も撮影したのですが、ソウルメトロが見果てぬ儚い露と消えたのもさることながら (車両そのものはザーラム工場の建物内にあるものと思われます)、むしろ一層驚いて腰を抜かしたのは、
全 旅 客 列 車、チ ェ コ 罐 D 1 2 E に 統 一!
ということです。ということは、モスラ罐も、ソ連から来た超ミニ罐も、東方紅21も、オーストラリア出身の入換罐も、はたまたハイフォン急行の常連牽引機でもあったドイモイ型D19Eも……すべて来ません!! ボロい車両や少数派は引退し、D19Eはこのたびのダイヤ改正で優遇された統一鉄道の牽引用として転出していったものと思われます。
いやはや本当に、アジアでの鉄活動は全て一期一会、いつ何がどうなるか、全く予想がつかず、思いがけない形で変化を見届けることになります……。というわけで、いろいろな罐を見たいという方は、イェンビェンを発着する貨物列車 (但しいつ走るか不明) もしくはザップバット貨物駅以南の統一鉄道を狙うのが良いかと存じます……。