地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

名鉄パノラマカー運用消滅直前・白帯の輝き

2008-12-26 14:39:51 | 都市民鉄 (中京圏)


 1961年にデヴューして以来、長年名鉄のシンボル兼主力として、今さら贅語を要さないほど八面六臂な活躍を続けてきたパノラマカー7000系。今日はついにその47年にわたる定期運用の歴史が尽きる悲しい記念日となってしまいました……。今日一日は間違いなく沿線も車内も大変なことになりそうですが、まずは安全・正確な運転で、その偉大なる使命を全うして欲しいものだと心から願っています。
 そんなパノラマカー、定期運用離脱が決まった後もなかなか撮りに行くことが出来ない……という相変わらずのぼやき節 (-o-;)。とくに、国鉄117系の登場に対し真っ向から受けて立つべく登場し、当時の名鉄ファンに鮮烈な印象を放った白帯車が復活してからというもの、「嗚呼!この超期間限定な麗姿を撮らずに済ませてしまうのか……」と悶々としておりました。しかし、先日の京都出張にあたり四苦八苦していたプレゼン用資料の準備がめでたく前日までに終了!! これで名鉄に寄り道する時間が出来た!(^O^) というわけで、長丁場な一日を「のぞみ1号」でスタート! 朝8時過ぎには常滑線の客となっていたのでした。
 パノラマカーの終焉にあたり、名鉄がご丁寧にもHPにアップして下さっている運用表によると、定期運用の本数はフル使用状態で3本。もちろん、まる1日を名鉄のために使うことが出来れば、完全密着せずとも光線状態と相談しながら充実した撮影を楽しむことも出来るでしょうが、当方としては昼過ぎには京都に着いておきたいということで、持ち時間は僅か3時間少々。そのあいだに白帯を引き当てるためには、名古屋近辺からなるべく離れずに常滑線の太田川以北で待つのが吉であることが判明! そこで、ダイヤ通りであればカブる心配がない聚楽園界隈にて、空き地にちょっとお邪魔して (^^;) 普通金山行を待つことしばし……何と!いきなり白帯車でやって来てくれました!! \(^O^)/



 四つ目ライトに純白の白帯……これぞ7000系パノラマカー全盛期の証!
 遠来の人間として、最後にこの姿を眼にすることが出来て、ああ幸せ……。
 ここで敢えて欲を言えば、ドピーカンでない方が良かった (線路東側の斜面の影が完全になくなっていない) とか、展望席に陣取るビデオ少年要らん! (鬱……さて、どうやってレタッチで消し去ろうかと……-_-;;) とか、いろいろと後悔も残るのですが、既にこの日は定期運用離脱の1週間前。こうして斜光線を浴びながら流麗に舞う姿を記録できただけでも有り難いと思うしかないのかも知れません。ビデオ少年の存在すら、最後の日々の記録として割り切るしかないのでしょう。窓から顔を出されるよりは全然マシですし……。
 それはさておき、聚楽園到着直前の姿を成功裏に記録したあとは、優等列車の待避時間を使って速攻で聚楽園駅に戻りまして、発車シーンを超順光で撮影! 電柱やケーブルの影や、線路間の仕切り棒の存在は、気にしない気にしない……(^^;)。
 その後は大急ぎで上りホームへ移動し、約2分後にやって来た急行河和行の後ろ4両に連結されているパノラマカーを後追い激写! ブック型サボに「急」の表示という、これまたまさに全盛期から晩年まで日常的だった光景に、思わずジーンとしてしまいました……。
 ともあれ、こうして「パノラマカー惜別・聚楽園白帯の陣」を終えたあとは、神宮前乗り換えで本笠寺へ向かい、東岡崎からやって来た岩倉行7041Fに乗車!! 先頭車、特に展望席はヲ○ギッシリで近寄りがたく、残りの席も別れを惜しむ (?) 一般の利用客で埋まっていたことから、先頭車は避けて2両目のモ7081に乗ったのですが、「ポンポンポン……」とCP音も小気味良く、どっしりと静かな走りは快調そのもの……。それなのに何故もうお別れなのか?!と思う反面、これほど完成度の高い車両だったからこそ約半世紀にわたる偉大な使命を全う出来たのだろう……と、改めてその存在の大きさに気付かされたのでした。
 パノラマカーが走り去ったあとは、三河線ワンマンとして活躍する7100・7700系で、偉大なパノラマの時代の残り香を味わうことになるのでしょうが、それがいつまで続くか予断を許さず……こうしてまたひとつ、昭和の戦後・高度成長の良き時代を物語る存在が消えて行くことに、改めて底知れない寂しさを感じるのは、すべての名鉄ファンに共通な思いなのでしょう……。

 登場から終焉まで常に、
 鉄道ファンにとっての《夢》であり続けた
 名鉄パノラマカー7000系万歳!!

京急ギャラリー号・別れの独り撮影会 (下)

2008-12-25 12:37:00 | 大手民鉄 (京急)


 引退を目前に控えた両ギャラリー号が新町にいることに気付いて緊急下車した際、「ありがとうギャラリー」1309Fはかなり奥の方に留置されていましたが、「歴史ギャラリー」1321Fは何と!車庫を横切る踏切のすぐ脇という超特選スポットに留置中!! これはもう「道行く人はいくらでも撮って下さい」状態そのもの……と思いきや、いざ1321Fの目の前でカメラを構えてみたところ大問題発生! 1321Fの停止位置が余りにも踏切に近く、側面を入れる場合にはどう頑張っても踏切操作用のスイッチが正面または側面にかかってしまうという……(-_-;)。
 それでも、折角の機会だからということで、正面がちなアングルで撮影していたところ、ここで救いの神=操車係様が御登場!! 1321Fに乗り込んで二度三度ドアの作動をチェックした直後、数mほど品川方に移動させて再び停止、改めて夕方までの昼寝に入ったのでした……。この結果、より完璧な編成写真を撮影可能となりました (^^)♪ どうやら、操車係様ご自身がラストランHM入り1321Fを撮影されたかったようで (^^;)、ご一緒に撮影したついでに伺ったところ、この日(先週水曜日)からHMを貼付して走り始めたとのこと。これは何とも絶妙なタイミングでの京急訪問だったようです……(^O^)。



 それにしても、新町で氷雨に濡れて佇む1321Fの姿は、京急の歴史、そして1000形の歴史をどっしりと一身に体現しているかのような威厳がありました……。当初「ありがとうギャラリー」ツートンラッピングに比べて、「歴史ギャラリー」ラッピングは、所詮プリントに過ぎない「なんちゃってリベット・ウインドシルヘッダー・木製ドア」etc..が「何だかなぁ」という印象だったのですが (^^;)、約1年を通じて良い感じに色褪せ (?)、かつ暗い天気で色が沈んだ感じになった結果、逆に曰く言い難い重厚さが演出されているという……。
 そんな1321Fを風雨の中で独り占めしながら、最後の最後にこの位置で撮影できる喜びに浸ったことは言うまでもありません……。というわけで、1309Fともども新町でたった独り撮影した至福を末永く良き想い出とするために、その後23日までのラストラン本番における沿線のカメラの放列には加わらなかった次第です。
 何はともあれ、こうしてまた改めて10両が離脱していった京急旧1000形……。かつては圧倒的な大所帯を誇った名車も残りあと約60両となってしまいましたが (確か)、最後の最後まで昭和の京急車両のプライドを保ちつつ走り続けて欲しいものです。そして、今年1年このような企画を披露して下さった京急の関係者の皆様にこの場を借りてお礼申し上げます。

 ところで、両ギャラリー号が営業線上を去ったこれからは、模型でこれら2編成をしみじみと楽しむ……という愉悦が待っていますね (^^)。マイクロエースのセット、どちらも予約しておりまして、他のもろもろの新製品と合わせて年末年始の散財大会へと突入……(爆)。

京急ギャラリー号・別れの独り撮影会 (上)

2008-12-24 13:33:00 | 大手民鉄 (京急)


 関西で京阪1900系さよなら運転が行われたタイミングと合わせるかのように、関東でも昭和30年代デザインの片開き扉の名車とのお別れが……。京急では創立110周年となる今年、「ありがとう」「歴史」両ギャラリー号が走り続けて来ましたが、周知の通りこの秋から冬にかけて相次いで新1000形「お銀」の増備分が落成したことから、登場当初の「約1年走ります」という予告よりも繰り上がるかたちで、昨日運用離脱となりました……(T_T)。
 一応、両編成とも2月から今まで普通に定期運用に入っていたことから、撮影機会は豊富にあったはずですが、思い出してもみれば、個人的にはくじ運が本当に悪かったのは残念無念……(京阪1900系もそうですが -_-;)。最終盤が近づくにつれて沿線が大変なことになると予想されたため、登場当初からこまめに記録しようと張り切っていたものの、何度足を運んでも入庫中だったという……。とくに1321F「歴史ギャラリー」は、6~7度目にしてはじめて大師線で撮影出来たという個人的最悪記録を作ってしまい、今後もそれが破られることはないでしょう (汗)。その後春以降は本当に多忙となり、撮り貯めの意図は空振り……(号泣)。 
 しかし、最後の最後にとんでもない偶然が! 氷雨が降る先週水曜、ラストランHMを貼った両編成を、新町車庫にてたった独り撮影する機会に恵まれるとは!



 これまで、仕事が午前中で終わることが多かった毎週水曜は、帰りに恩田の様子をウォッチするのが恒例だったのですが、秩父向け甲種輸送を機にそれも一段落。久しぶりに両ギャラリー号を撮るべく京急経由で帰宅することにしたのですが……何とあろうことか、京急の車内に「両ギャラリー号ラストラン!」の広告が……。仕事の多忙もようやく一段落しつつあり、これから登場1周年に向けてじっくり撮りたいと思っていた矢先だというのに……。しかも、大師線を訪れたところ、又しても1321Fは大師線にはいない……(T_T;;;)。
 こうして、最後の最後までギャラリー号と自分の相性は悪かったのか……と、ガラ空きの普通電車に揺られながら雨模様を眺めて暗い気分に陥っていたところ、神奈川新町到着時に奇跡が!! 何と、1309Fと1321Fがともに入庫中で、しかも撮りやすい位置にいる!! というわけで、速攻下車決定!! \(^O^)/ 
 標準塗装の旧1000形や800形といった昭和生まれの仲間とともに静かに佇む1309Fの姿は、まさに名車の中の名車・旧1000形の最後の日々の中でも忘れ得ぬひとこまになることは間違いないでしょう……。しばしば叩きつける雨は、スーツとカメラの両方を冷たく濡らし、しばしば寒さで震え上がる心地こそしましたが、新町検車区を横切る踏切で激写しまくっていた私にとっては、そんな滲みるような冷え込みもなんのその! この絶景を独り占めしている幸せを心の底から味わい、ナチュラルハイに陥っていったのでした……。

京阪1900系さよなら運転・特急色1929F編

2008-12-23 00:26:16 | 都市民鉄 (近畿以西)


 京阪1900系さよなら運転のうち、1919Fの臨時特急本番は失敗(→悲しきトリミング)に終わったため、1929Fの本番は絶対に同じ轍を踏むわけには行きません。そこでパターンダイヤ的にみて、大和田駅の出町柳方であれば、「上り電車の入線・停車→そのあいだに臨時特急通過」となっても安全度が高く、しかも後追いを超順光で撮影可能だろうと判断したところ……いざ通過本番、本当に予想した通りの展開となりました。 1919Fのときとは異なり、臨時特急の通過と上り電車の発車が重ならなかったことから、一応京橋方でも無事撮影できたようですが、後追いはまず不可能だったわけで、停車中の下り列車をよそに豪快に通過して行くシーン、そして青空をバックにあっという間に走り去って行くシーンをデジカメのモニタで確認しながら、「とっさの判断で場所を変えた自分はエライ! (^^;)」という気分に浸ったのでした……。1919Fのときも、最初から人が少ない出町柳方での撮影にしておけば良かった……と、少しばかりの後悔は残ったのですが (汗)。



 それにしても、特急色1929Fの最後の勇姿は、素晴らしいのひとことでした……。なるべく特急時代の雰囲気を再現するべく、貫通幌台座風オブジェが本物のステンレスを用いて (?) 取り付けられ、幌を支持する棒 (正式名称は何と呼ぶのでしょう? ^^;) や二段窓を表現するためのラッピングまで貼り付けられているという……。もちろん「なんちゃってオブジェだ」と言ってしまえばそれまでですが、少なくともこうして見る限り、昔をしのび、長年の活躍をねぎらう試みとして、余りにも素晴らしすぎる……という思いがこみ上げます。世代的に残念ながら、1900系の2扉特急時代をナマで知る由もなく、加えて私自身は関東住民であることから京阪沿線住民の皆様ほど思い入れがあるわけでもありませんが、とにかく1900系が京阪の社員の皆様にこよなく愛され続け、かつ最大限のファンサービスでその最後を飾りたい……ということがひしひしと伝わって来ます……。それはまさに、1900系が名車の中の名車であり続けたことの証。そして、たとえ1900系が歴史の中に走り去ろうとも、「まずは良質な車両を当たり前のサービスとして提供してナンボや!」という関西私鉄魂は今後も永遠に不滅なのだろう……京阪万歳、関西私鉄万歳!と改めて強く思ったのでした。
 何はともあれ、本当に一瞬の通過ではありましたが、これほど素晴らしい引退劇を披露して下さった京阪の関係者の皆様にお礼を申し上げたいと思います。

京阪1900系さよなら運転・一般色1919F編

2008-12-21 12:32:23 | 都市民鉄 (近畿以西)


 昭和30年代に製造されて以来、ウインドシル付きの古風な車体を持つ1810系を編入しながら、特急車として、そして一般車として地道な活躍をして来た京阪1900系……。しかし、製造後約半世紀を経て寄る年波には勝てず、中之島開業用として3000系が大量に用意されたことから、去る10月に定期運用を離脱したのは周知の通りです。そんな1900系、非鉄から撮り鉄に復活した数年前から「非常に好ましいスタイルで最高!……だけど引退が近いのかも知れない」と思い、関西を訪れるたびになるべく記録するようにしていたのですが、何故か運が悪過ぎました……。「ラッシュ時の交野線なら1~2編成は当たり前のように走っているだろう」と確信して訪れてみたところ、何と全編成2600系だったり……。萱島までの区間急行運用に割と良く入るといわれていた末期も、何度訪れても寝屋川や淀に……(号泣)。そして、運用離脱間際ということでHMが付いた今年10月は、多忙過ぎてそもそも遠征不可能 (-_-;)。その後もこの師走まで一貫して忙し過ぎ、最早個人的な1900系運は尽きたものと諦めていました。
 しかし何と! 前から予定していた冬至間際の京都出張と、さよなら臨時特急運転が絶妙に重なったではありませんか!! これは最後の最後に運が巡ってきた……ということで、旅費ゼロで確実に撮影できる機会をフルに (?) 活用決定!



 当日は、用務先が手配してくれた京都東山の宿でゆっくりと湯豆腐の朝食を食べ、「いやーさすが南禅寺界隈の豆腐は美味い。これで前日の疲れも癒えたし、よし行くぞ!」と勇躍京阪三条へ。限定3000セットという「1900系さよなら記念Kカード」は、朝9時前である以上とっくの昔に売り切れているだろう……と思いきや、何と未だ残っており奇跡的にゲット! (^O^) 
 そこで「ひょっとすると撮影ポジションも結構良い位置を確保できるのではないか?……まぁ首都圏ほど大変なことにはならないだろう」という期待を抱いていたところ、果たせるかな、午前10時前にして既にカメラがぎっしり!な大和田にて、奇跡的に背の低い先客のすぐ後ろをキープ! 
 というわけで、他の通過列車を撮りながら送り込み回送を待っていたところ……ついにやって来ました、さよならHM付き1919Fが!! 毛筆体の「回」がシブ過ぎます……(*^^*)。順光となる後追いに専念したこともあって、「来た甲斐があった……」と思えるほど完璧な1カットとなりました (^^)v
 しかし……三条行き臨時特急の通過本番は運命が暗転……。35mm換算85mm程度で、シルヘッダーつき中間車を強調しながらダイナミックな構図で撮るべく、標準ズームレンズを装着していたところ、何と上り列車がカブってしまい……結局撮影できたのは、慌ててシャッターを切った2枚目のカットのみ……(T_T 思い切りトリミングして、辛うじて見られるようになっています)。「最初から300mm望遠ズームを装着していれば臨機応変に対応出来たかも知れない……」「あと5秒早く現れてくれていれば……」と思うと後悔ばかりが先に立ちますが、まあ偶然の出張により1枚目のカットを撮影できただけでも有り難いと思うしかないのでしょう。
 ともあれ、この衝撃的なカブりの結果、とっさに「大和田の京橋方先端は危うい」と判断し、撮り鉄の膨大な集団からは離れて、人の少ない出町柳方へ移動。特急色1929Fの本番を待ったのでした……(つづく)。