地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

雨の三岐訪問記 (5) 主力801系快走

2009-01-10 12:36:54 | 地方民鉄 (中京北陸)


 再び黄色つながりの世界に戻りまして (あと、元相鉄2000系つながりで ^^;)、早いもので半年以上前となってしまった雨の三岐鉄道訪問の記録です。
 東藤原駅では折からの土砂降りに内心号泣しながらも (-_-;)、ヤードの片隅でポツンと冬眠ならぬ「夏眠」を続けるデキ201を何とか記録したのですが、そんな折、主力の801系も当然のように姿を現しました。雨天の真っ昼間の西藤原行きに乗っている人はほとんどおらず (苦笑)、上り列車の送り込みのための回送も同然の状態というわけで……こんな列車に乗っていれば、他の客の会話に一切煩わされることなく西武701系サウンドを心の底から満喫できるのになぁ、と (^^::::::::
 1枚目のカットを撮影した後は、いい加減カメラもレンズもアタッシュケースもずぶ濡れ状態につき (爆) ほうほうの体で駅舎へ直行し、すぐに西藤原から折り返して来たこの編成の客となりました。下り勾配につき、デンジャラスさを極めた走行音というわけではありませんでしたが、如何にも昔の西武所沢製っぽい、もはや化粧板もすっかり色褪せた車内の光景とコイルバネの過激な揺れは、何度乗っても飽きが来ません (^^)。



 そんな801系 (空気バネ台車装備車は851系……という分類で宜しかったでしたっけ? ^^;) は、このたび「最新型」の座を西武新101系あらため751系に譲ることになりましたが、個人的に新101系のブラックフェイスはもともと余りピンと来るデザインではないため (^^;)、今後も三岐を訪れる際には音・揺れも含めて101・801系の方が歓迎かなぁ……と。
 とは言いつつ、751系も来れば、もちろんバリバリに撮るつもりではあります (笑)。そもそも、西武沿線に関する馴染みや土地勘がほとんどない私の場合、最も頻繁に利用する西武の路線・車両といえば、池袋線東飯能~吾野間+秩父線の4000系と多摩川線の101系でありまして、701系や101系も地方私鉄に転出してからはじめて撮っております (爆)。西武ファンの皆様からみれば、何ともひねくれ者を極めているやり方かも知れませんが (^^;)、今般の新101系・三岐&伊豆箱根&上信譲渡もまさにこのパターンを踏んで、「先に譲渡先での活躍を撮影→西武本家での姿が気になる→支線区で最後のご奉公中の姿を撮影」ということになりそうです。あ、でもそういえば、2000系は既に国分寺線で撮っていたっけ (^^;

京急旧1000形・大師線09年新春の表情

2009-01-08 22:24:00 | 大手民鉄 (京急)


 新年のアップはこのまま黄色つながりで行こうかなぁと思ったのですが、ちょっと気分を変えまして (^^;)、京急旧1000形の話題です。
 毎年すっかり恒例となっている京急大師線の新年干支HM、今年も例によって運用中の全編成に装着されて絶賛 (?) 運行されましたが、ここらへんはやはり京急が大師線から創業しているだけに、気合いの入り方が違うな~という感じです (^^)。
 というわけで、元日以降大師線を訪れるタイミングを見計らっていたのですが、三が日&日曜日となった4日は撮り鉄が猛烈に多そうなのでパス (苦笑)。真冬の好天の大師線は、ケーブルや家屋の影が盛大に車体に落ちまくるだけでなく、撮影アングルそのものも限られるという問題もあり……連日ドピーカンな青空を睨みながら「下手をするとこのまま松の内が終わってしまい、HMも外されるかも」という危機感を募らせておりました (滝汗)。
 しかーし、最後に運は開けました! 仕事が午前中までだった昨日は、ちょうど昼頃から良い感じで曇って来まして、まさに大師線撮影日和に! (^O^)v
 そこでいざ大師線に乗り込んでみますと、何と平日の日中であるにもかかわらず5分間隔で運行中! しかも6運用中4運用が旧1000形という、旧1000が激減した今日ではゼイタクこの上ない陣容……\(^O^)/ 4編成の旧1000形は、2編成が「大師本殿と黒牛」HM (上の画像)、もう2編成が「扇子と赤べこ」HMを装着し、それぞれ平均15分間隔で走っている勘定ですので、撮影効率も最高でした (^^)。



 思い出してみると、大師線の新春輸送も三が日を過ぎた平日は普段通りの10分間隔になってしまう……と記憶していたのですが、京急としては客足をみて臨機応変に増発したのかも知れません。あるいは、単に私の記憶違いだったのかも知れませんが (^^;)。実際、昨日の大師線は、松の内最終日であるにもかかわらず、快特から連絡している列車を中心に人、人、人……(逆に快特と連絡せずに川崎を発車する電車はガラ空き ^^;)。私はひたすら「平日の初詣客ってこんなにいたっけ……?」と圧倒されまくり (^^;)。これもひとえに、この不況だからこそ近場で神仏頼みをする善男善女が増えまくっているためなのでしょう。新聞などで眼にするところでは、この新年のJR近距離輸送や民鉄各社の輸送量は軒並み3~4%増のようですし……(逆に遠距離は打撃。汗)。もしそんな状況の中で10分間隔だとしたら、川崎・大師両駅は新年早々パニックになってしまいそうですね (^^;;;;;;
 それはさておき、大師線をゆく旧1000形を激写しながらも頭の中をよぎったのは、新年輸送を待たずして離脱した「歴史ギャラリー」1321Fの存在でした……。この際、「ありがとうギャラリー」1309Fも4連に減車して、新年の大師線で2編成ともども華々しくフィナーレを迎えさせてやりたかった……と思うのですが、いや、そんなことになったら駅や車内ばかりか沿線がパニックになってしまいそうな (爆)。今はただ、旧1000形が4編成も運用に入っている幸せをかみしめるべきなのでしょう。来年の今頃にはさらにどれだけ廃車が進んでいるか分かりませんし、既に新年早々から新1000「お銀」が大師線運用に入っていたそうですから……(滝汗。そういえば、旧1000・2+2編成の指定席だった97運行に「お銀」4連が入っているのを眼にしたときには衝撃が。「続きを読む」からどうぞ)。


京急デト15+16、旧1000形とともに憩う

2009-01-07 00:05:50 | 事業用車両


 神奈川県内の黄色い事業用車ということでもう一発 (笑)、京急デト軍団のうち金沢文庫に常駐するデト15・16をアップしてみましょう。
 京急のデトといえば、通常もっとも活躍しているのは、部品などを積んで定期的に新町←→久里浜間を往復しているデト11・12でしょう。これに対して、出番がないことが望ましい救援車・デト17+18およびクト1&2はさておき、デト15+16の出番の少なさは一体どうしたことか……。
 15+16といえば、もともとはレール運搬車としてクレーンを装備し「デチ」を名乗っていましたが、レール運搬の役目はモーターカーに譲って久しく、単なる無蓋車に改造されて「デト」に改称されましたので (確か……まだデチのままでしたら大変恐縮です ^^;)、11+12と交替で配給電車の運用に入ってもおかしくないはず。それでも、普段はまるで継子扱いされているかのように文庫の片隅に放置され、せいぜいたまに通電のためパン上げしているにとどまっているのは……たぶん有蓋部分が狭く (客用扉+戸袋窓分のスペースがない)、室内に積んでおきたい資材を運ぶ際に不便をきたすためなのかも知れません。個人的には、パンタの台座を兼ねて無蓋部分へと伸ばされたヒサシ屋根の存在から、11+12よりも15+16の方が何気にカッコ良く思われ (*^^*)、もっと活発な動きを期待しているのですが……11+12の検査入場などがない限り難しい話なのでしょうか?



 さて、そんな不遇なデト15+16ですが、留置位置がだいたい決まって八景駅近く・横浜市大前踏切の脇と決まっているのは不幸中の幸いとしか言いようがないでしょう。とにかく撮りやすい……(^O^)。あ、もちろん公道と文庫検車区敷地とのあいだには仕切壁と鉄条網がありますが、最近のデジカメの進歩は本当に有り難い……。デジ一眼でもだいたいの画角を決めてから手を高く差し出してノーファインダー撮影を行い、1カット切るごとにモニタで確認しながら微妙にレンズの向きを変えることで、会心のカット (1枚目) を得ることが出来るという……(^^)v
 そして、このとき (昨年9月 ^^;) は両脇に旧1000形が並び、まさに両手に花状態!! (^O^) 旧1000も昨年はあれよあれよという間に減少し、以前はいくらでも見られた旧1000とデトの並びも、最近では必ずしも見られるとは限らず……。そんな中、京急名物「入庫時デタラメ表示」(たとえば今回の画像……A急行浦賀行きなんてまずあり得ない!! ^^;) を出した旧1000形と仲良く昼寝をしている光景は、見ているこちらとしても嬉しさ100倍な反面、あともう少しでこんな当たり前な光景も見られなくなってしまうのか……という寂しさが募るのでした。

伊豆箱根大雄山線の黄色い老雄・コデ165

2009-01-06 00:16:14 | 事業用車両


 さらに神奈川県内の私鉄事業用車&元相鉄つながりで (^^;)、大雄山線のヌシ・コデ165をアップしてみることにしましょう。
 小田原駅の片隅から出発する小路線として、かつて箱根登山と伊豆箱根大雄山線がそれぞれ重厚な釣掛式電車を走らせており、東海道線を下って来るとまずは大雄山線のくすんだ西武色の電車がお出迎え、これに対して箱根登山は小粒ながらもピリリと辛いモハ1~3形が存在感を主張していたものです。しかし、私が物心ついた70年代後半には既に、かの箱根山戦争も勝負が見えていたような……。そこで当時グリーンとクリームだった伊豆箱根バスだけでなく、国鉄・西武・相鉄の中古をかき集めた大雄山線も、箱根登山の電車・バスと比べて相当地味~な印象があったのは否めません (大雄山線はもともと最乗寺への参詣電車と小田原近郊電車を兼ねた路線ですので、箱根山戦争とはそれほど関係ないのですが ^^;)。
 そんな大雄山線と私との付き合いといえば……幼少時から温泉旅行で乗る箱根登山の旧型車が大好きだったことに加えて、大雄山線沿線には用がない家に育ったため、小学校の頃までの大雄山線の印象は「恐ろしく地味で古過ぎ謎めいた電車」というもの (^^;)。しかし、だからこそそんな大雄山線のことが次第に気になって仕方がなくなり、中学生になってからはさっそくカメラ片手に何度か、5000系入線前後の大雄山線を撮り歩いたものです。
 もっとも、当時の最大の狙い目は、何と言っても17m国電の残党! モハ154~156とクハ183は車内がニス塗りという垂涎モノの車両であり、しかも154・156は前パン! これらに次いで、後パン&車内ペンキ塗りに改められたグループが当たり……ということで、もと相鉄2000系の160番台グループはイマイチ優先順位が下がっていたのは否めません (^^;)。いや、もちろん今も昔も日常的に相鉄に親しんでいる身として、普段はかしわ台でしか見られなかった2000系が主力として走っている光景は、当時でも「素晴らしい!」のひとことでしたが、他がもっと強烈な存在でしたから……。



 こんな選り好みの思い出も、今考えてみればゼイタクこの上ない話 (爆)。1984年に登場した大雄山線の新星・5000系は、大雄山線にしては余りにも斬新だったことから、「まぁどうせ1本や2本、見かけ倒しで導入するだけで、整備状況が良い元相鉄グループはたぶん長く残るだろう」と思っていたのも束の間……5000系は第2編成以後ステンレスに移行していつの間にか大 (?) 増備され、旧型車の残りは両運転台の牽引車に改造されたコデ165のみとなってしまいました (汗)。
 そんなコデ165、無蓋車を牽いる工事用列車として活躍することもあるようですが (→形式名の「コデ」は「工事用電車」そのまんまか?)、出番は夜間に限られる……ということで、白日の下でその勇姿を眺めることが出来るのは、5000系が東海道線を介して駿豆線の大場工場との間で甲種輸送されるときに限られます。まぁ、このへんの話題はDJ誌にも時刻が載るほど有名な話ですので、これ以上の説明も不要というものでしょうが、平日ごくまれに走るのみということで、撮影の機会がそうそう巡って来るわけでもなし。しかも、往復をうまく撮影するのであれば、薄曇り程度がベストコンディション。これは難度の高い撮影です……。
 というわけで、あらゆる制約を克服して、釣掛サウンドも高らかに走るコデ165の走行をうまく撮影できたときは、思わずガッツポーズ (^O^)。端で見ている分には、単行の際の起動はアッと驚くほどパワフルで、5000系3連を牽引するのも楽勝という雰囲気ですので、今後ますますの長寿と撮影チャンスの再来を心から願いたいものです……(^^)。
 ちなみに、相鉄2000系のこの車体は、本家相鉄の2000系およびモニ2000、大雄山の160番台のほか、日立のクハ2501・2502、三岐の155・156といった車両に流用されていますので、いずれ鉄コレとしての登場を願いたいところですね~(とくに相鉄は緑系ツートン希望 ^^)。これに加えて、幻の銚子電鉄バージョン (確か重すぎるためにデヴュー出来ず、犬吠駅前のレストランとして流用中) とか……(超爆)。

相鉄モヤ700・新旧交代劇に備える

2009-01-04 16:30:29 | 事業用車両


 新年2本目の記事アップは、神奈川県内の事業用車つながりということで (笑)、相鉄の秘かなスター・モヤ700の活躍を取り上げたいと思います。いや……相鉄のスターといえば、世間一般的には現在デヴュー準備中の11000系=相鉄版E233なのかも知れませんが (運用開始のアナウンスがなされる前にプラレールが発売になったという超フライングぶりには、開いた口がふさがらず……^^;)、昭和の相鉄車両に忠誠を誓っている身にとってはやはり、モニ2000の後を継いでかしわ台にひっそりと息づくモヤ700だったりします……(*^^*)。
 そんなモヤ700、最も撮影しやすいのは毎月1回行われる全線検測の機会ですが、最近は部外者からみて全く実施パターンが読めなくなり、しばらく撮影もご無沙汰となってしまいました。しかし……先日ぶらりと近場で買い物をするついでに相鉄を撮影した際、久しぶりに7000系休車群の様子を観察してみようと思い、ニセ厚木の留置線を訪れてみたところ……何故かカメラを持った先客が複数! これはもしやモヤ700様の御登場では……と期待して待っていたところ、果たせるかな、新7000の中間車2両を挟んでしずしずと到着!! \(^O^)/



 到着した「モヤサンド」編成は、果たしてどのような動きをするのだろうか……ということで様子を見ていたところ、かなり複雑な入換が始まったため、視線とレンズはそのままモヤ様に釘付け (笑)。
 (1) 702+701と、新7000中間車×2+704+703が分離。
 (2) 後者がいったん別の線路に転線。
 (3) 前者が前進して休車中の旧7000×4と連結、横浜方に引き出して転線。
 (4) 旧7000×4がいた位置に、新7000中間車×2が押し込まれる。
 (5) 役目を終えた703+704が2両単独で移動。
(2枚目の画像……超望遠撮影→さらにトリミング ^^;)
 (6) 「(←ニセ厚木方) 旧7000×4+モヤ700×4 (→横浜方) 」の8連完成。
 ……以上の入れ換えの所要時間は1時間半以上! すっかり昼になって腹が減った私は「貨物専業鉄道であれば、この程度の入れ換えはあっという間に終わってしまうのに、何でこれほどの時間が……」とぼやいてしまったのですが (^^;)、とくに長期間放置されていた旧7000×4を久々に動かすため、ブレーキ周りの確認を念入りに行いながら作業を進めていたのかも知れません。
 ともあれ、今年は5000系や7000系の休廃車ラッシュが続くことが予想され、モヤ700がかしわ台とニセ厚木の間を往復する機会が増えるのかも知れません。