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ミステリ感想-『九十九十九』舞城王太郎

2003年07月17日 | ミステリ感想
~あらすじ~
「苦しさを感じるなら、僕なんて愛さなくていいんだ」。
聖書/『創世記』/『ヨハネの黙示録』の見立て連続殺人を主旋律に、
神/「清涼院流水」の喇叭が吹き荒れる舞台で踊りつづける超絶のメタ探偵・九十九十九の魂の旅が圧倒的文圧で語られる。“世紀の傑作”はついに王太郎の手によって書かれてしまった!
「ハァレルゥヤ」。
(表紙見返しより)


~感想~
徒然。題材が九十九十九である必要は全くと言っていいほどなし。流水のJDCとはほんの少しもつながらない。これは完全無比の舞城文学。文学だ。ミステリ……なのか? ところどころに流水に捧ぐ、いや力量差を見せつける流水的細工&仕掛け。トリビュートというよりも「俺の方が断然上なんじゃい!」と力の差を誇示しているような。あいかわらずなんでこんな文章が読みやすく、引きつけられてしまうのか不思議でしかたない。終章の「九十九十九」の名が意味することの解題にはあ然。流水……先を越されてしまったのでは? 結局は愛と家族に回帰するいつもの物語。あの絵がもう……参りました。これで長編書く作家もいるだろうにというトリックやプロットやアイディアが惜しげもなくびしばし詰め込まれているのもいつものこと。これもラストの一文に全てが収束し集束し終息するのだろう。極論すればその一文のためだけに書かれた大作なのだろうか。天才と狂人紙一重。いやその紙こそが舞城王太郎なのか? 天賦の表。狂気の裏。なんでもいい。舞城、ここにあり。


03.7.17
評価:★★★★★ 10?
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