アテネに続いてまた幽霊を当てにしたのが流れを変えた。逆効果だった。アテネの時は名誉監督だったかね。実質的な中畑監督は監督代行というのが正式名称だったらしい。よほど彼の名前がおまじないとしてきくと思っているらしい。選手はどうせ中畑は代行だからということを聞かない。中畑氏もよくわきまえていてなにもしなかったらしい。ひねくれた職業野球の選手の扱いというのはやっかいなものだ。
ワールド・ベースボール・クラシックの一次大会とかいうの。日曜日の韓国戦は土曜までの中国や台湾戦とはうって変わって中盤以降はとても勝てそうな予感の持てない試合になった。中国戦はともかく、台湾戦の大勝からみれば、台湾戦に辛勝した韓国など楽勝出来ると予想するのは無理もない。それを当て込んだのかどうか、皇太子ご夫妻が観戦に来られたのを映像で流していた。あれはカンだろうね、この映像を見て悪い予感がした。
どんな連中が段取りを考えたのか。日本が勝って後で選手をねぎらいに行かれるシナリオだったのだろうが、韓国が勝ってどうなったのだろうか。関係者は責任を取ってもらいたい。
表面的には韓国の右翼手のファインプレーが流れを変えたというアナウンサーや解説者の意見はもっともだが、どうしてそうなったかということを考えると、(特にその後まったく日本選手に反撃の気迫が見られなかったかというと)アテネの時から不審、不愉快に思っている長島さんの担ぎ出しだ。長島さんをみこしに乗せて(担架に乗せて)担ぎ出したほうが勝ちだ思うのがいるのだろう。これでは韓国に馬鹿にされて、のんでかかられるのは当たり前だ。
日曜のテレビで皇太子ご夫妻のほかに、長島氏とその介添え役らしい息子が読売新聞の渡辺老人が貴賓席にいた。皇太子ご夫妻より物々しく寒々とした光景であった。どこかの独裁国家のパレードのひな壇に並ぶ首脳のごとくおさまっている光景は異観であった。アナウンサーは皇太子ご夫妻の臨席と長島親子、渡辺老人の『ご臨席』を同列で連呼していた。
不敬罪のおそれがある。見苦しいことだ。大リーグでニューヨーク市長が一般市民と一緒にフィールド際の内野席で観戦するのは、テレビでみてもいい光景だが、日曜のひな壇放映は関係者すべての神経を疑う。
見苦しいついでにテレビ朝日のこともいっておこう。金曜、土曜の試合中継をしたTBSと日本テレビは放送中に早々と試合が終わるまで中継を延長すると案内を何回も流していた。日曜のテレビ朝日は、なにもいわない。試合は勝てそうもないと思ったからテレビを切ってしまってもよかったが、テレビ朝日が新聞のテレビ欄に案内している中継終了時刻の8時54分にどうするかが興味があったからそのままにしておいた。テレビ朝日は8時54分になって唐突に中継を延長します、だとさ。シャブコン・テレビ・ワースト・ワンらしい局だ。
王監督は相談されれば今日の企画に大賛成を表明しただろう。人がいいからね。しかし、選手たち(日本、韓国)の無意識というものは端倪すべからざるもので、ほとんど過たない。王ジャパンですっきり勝つつもりなら皇室を利用するようなことは勿論、長島美談、長島伝説を特効薬と思い込むような幼稚なことではなるまいぞ。
長島氏も自分の意思を表明できるまでに病状が回復しているなら、誘われても遠慮し辞退しべきだ。『王君の邪魔になるといけない。彼の気が散ってもいけない。家でテレビで観戦するよ』というべきだろう。それが一度は頂点に達した長老のいうべきことだろう。
日本が勝ち抜くつもりなら土曜までと同様に王監督にまかせ、彼にすべてのスポットライトが当たるようにするべきだ。犬(選手)は王さんの命令だけを見ていればよい。日曜の試合はまるで別のチームだった。
たかがスポーツではないか。さわやかにやろう。皇室をあざとく利用したり、どぎついセ・リーグのオーナーや実際に指揮できない元セ・リーグ長老を葵の印籠のように持ち出すべきではなかろう。そういえば、今度の選手はパ・リーグが多い。実力なのだろう。渡辺老人や長島氏を引っ張り出してパと均衡を取ろうとしたのだろうか。笑止なことだ。
「たかが野球、されど野球」と言ったのはかっての長島氏ではなかったか。この姿勢が今の野球界(ファンとの接点はテレビ中継のアナウンサーということになる)にはない。私は中継のときに音声は消しておく。大リーグの中継で英語放送があるときは英語にする。
別に英語が分かるからではない(少しは分かるがね)。アメリカのアナウンサーは野球の中継をしているのであって、何でもかんでも幼稚な人生論、道徳論で珍奇な意見を視聴者に押し付ける日本のアナウンサーの若造のような不愉快さがないからである。これはすべての日本のスポーツ中継に言える。サッカーをはじめとして。