日本の官僚が優秀である ?
「PAKA」を言ってはいけない。官僚が道具として使える条件は限られている。
1・政治主導の状況にあること。官僚には頭脳がない。あるのは工作機械を制御するCPUだけである。
2・問題に対する解が一つしかない場合のみである。すなわち問題が算術で解ける場合、ゆずっても一次方程式で設問出来る場合だけである。
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道具として、刃物としての官僚には定期的な手入れと管理が必要である。しかし、これは大きな矛盾を含んでいる。官僚というソフトのバージョンアップを繰り返すと、ソフトは肥大化する。コンピュータソフトの場合とことなり、官僚の場合は肥大化は自律化をうながし、肥大化は無責任化を必然的にもたらす。
最初のでき合わせの道具をより強力な道具にするために手入れを加えるたびに、官僚制度の最初の目的を土台から侵食する運命にある。なぜなら、官僚制度が自律化し、無責任化する過程が進むたびに国民福祉の道具としての切れ味は衰えてくる。
寿命は5,60年とみてよいだろう。
+ さてお立ち会い。戦前の日本を滅ぼしたのは軍国主義だという。PAKAを言ってはいけない。
日本を滅ぼしたのは軍事官僚制度である。問題を正しく表現することは非常に重要である。
明治維新後、すぐに軍事官僚作りに着手した。ここでは一応次の官僚養成学校設立を起点として考える。
陸軍:陸軍士官学校創設 1874年、陸軍大学校創設 1883年
海軍:海軍兵学校創設 1876年、海軍大学校創設 1888年
政治のコントロールが利かなくなったのは大正末期から昭和初期であろう。官僚制度が確立し肥大化した。明治維新後政治を主導してきた、幕末の動乱を生き抜いてきた政治家がいなくなった。元老と言われる最後のひとり、山県が死亡したのは大正末年。
皮肉なことだが日本の軍事官僚制度を作り上げたのはその山県有朋であった。
以後、昭和二十年の亡国まではシッチャカメッチャカの軍事官僚横行時代である。
明治初期から昭和初期まで約50年あまり。その後、昭和二十年までは混乱時代といっていい。
国家予算に占める軍事費は時には50パーセントを超えた。これをほしいままにしたのは議会でも政府でもない。軍事官僚たちである。
軍事官僚と言うと若い諸君には見たこともなく、実感がわかないかもしれない。そういうのを想像力の欠如というのである。
現在の国家予算を一番使うのはどこかね。厚生労働省だろう。次が国交省かな。この辺の官僚の弊害は戦前の軍事官僚と同じレベルに達しておる。なぜなら1945年の戦後から5,60年たっておる。弊害の極にある。はやくぶっ壊さなければいかん。厚生労働省の高級官僚が日本を破壊しつつあるといってもいい。
いま、うまく手早く処理しないと今後の十年、二十年は昭和初期の混乱、疲弊と同じになる。
ちなみに、ソ連だ。もともと社会主義というのは官僚制度そのものだが、ソ連で官僚制度が確立したのはスターリンが完全に国内の政治抗争に勝利した1920年代末だろう。ベルリンの壁崩壊が1988年だったかね。やはり5,60年間しかも持たなかった。もっともスターリンの官僚主義があったからこそ、ロシアは軍事大国になったのだが、やがて官僚制度の肥大化で恐竜のように倒れた。
それにくらべると、江戸幕府の官僚制度は260年間持たした。やはり大したものだ。260年の間に三回か四回、大きな改革(チェンジね)に成功したのだろう。インターバルは5,60年という計算になるね。
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