東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

官僚の寄与率は5パーセント

2008-11-27 08:30:10 | 社会・経済

さて、戦後の日本の奇跡的な経済復興とその後の驚異的な高度成長は日本の官僚の優秀性を示すとしたり顔に言うPAKAがおる。pakaをいってはいかん。

オイラがパソコンで試算してみた。OSはマイクロソフト・DOS5.1だ。最新鋭のOSだぜ、DOS6が出るまではね。

それによると、経済成長に対する寄与率(貢献率)は次の通り。

政治家:15-20パーセント

官僚:  5-10パーセント

国民: 70-80パーセント

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前回述べたように官僚が有用な存在でありうるのは政治のコントロールが効いている場合である。そして取り組むべき課題が単純である場合である。

戦後の経済復興期:

官僚制度は一度崩壊した。一からやり直しで幼児期、つまり明治初期と同じだ。そして経済復興という課題は単純明快である。いくつも手段があるわけではない。基幹産業に資金を集中することである。PAKAでもわかる算術の世界である。官僚制度が脆弱だから政治家が死に物狂いで指導しなければならない。

高度成長期:

官僚制度はようやく少年期を脱しようとしている。国策決定には政治家の役割が圧倒的につよい。課題は欧米先進国に追い付けである。日本人というのはモデルが外にあると真似るのがうまい。だから外国人にはサルと揶揄されるが。課題を解くのにはせいぜい一次方程式だ。中学一年のカリキュラムかね。

そして東西冷戦という世界の「秩序」がゆるぎない。あれこれ迷う余地はまったくなかった。

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問題は平成になってからだ。昭和初期と同じような状態になる。

官僚制度は爛熟完成し「精緻」となり、腐臭を放ち始めている。欧米はもはやモデルにはならない。世界には冷戦という明確な秩序もない。

政治家は官僚制度という「無停電電源装置」に任せておけばその場はしのげる。官僚という「オートパイロット・ソフト」のスイッチを入れておけば、安心して利権あさりに専念できる。政局に没頭できるというわけである。

加えて二世、三世化が進み、痴呆化が常態となる。本来の政治をやろうとしても出来なくなっている。

めでたし、めでたし、おわり

つけたし:

司馬遼太郎という作家がいる。調子のいい話は一ページおきに陳腐な「教訓」を三ページほどはさんで、退屈な小説を長々とかけるが複雑な時代は描けなかった作家だ。

彼は大正、昭和初期を描かない。また、飛鳥時代とか古代を描かない。描けない。いずれも一次方程式では理解できない時代である。「昭和はわからん、輝かしい明治時代とは国が違うようだ」てなことを言っていたと記憶するが、そうじゃないんだね。彼の手にはあまる時代なのである。

霞が関の高級官僚にはことのほか司馬遼太郎の愛読者が多いそうだ。わかるね。