東方のあけぼの

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違和感の強い大阪体育系体罰事件

2013-01-10 10:37:22 | 社会・経済
大阪の市立高校のバスケットボール部の体罰自殺事件だが、報道が非常に狭窄した視野に基づいている。

非常に違和感がある。橋下市長の発言も滑稽に類するものだ。あまり短絡したことをパーフォーマンス的に
言うべきではない。

第一に、これは市立高校だろう。私立なら客寄せにスポーツ部の実績をあげなければとシャカリキになるのは分かる(分かるというのは賛成するということではないよ)。しかし、公立だろう。なぜスポーツにこだわるのか、まずこれが第一に理解不能な点である。大阪という土地はどこまでも異常な風土ということか。

第二に、体罰の善し悪しは別に考察するとしても、体罰を受けたからといって何故自殺に直結するのか、関係者には可哀想だが理解出来ない。今の日本人、青少年はそういうものなのか。

体罰に反発するならバスケットボール部を辞めればいいだけだろう。退部の自由を認めていないなら、これは脚抜きを禁止するヤクザと同じで大問題だ。その場合でも自殺しか選択がないということは考えられない。自殺という選択は無いのではないか。最後の手段としてもないだろう。もし、これがすんなりと理解出来るなら日本いや関西という風土は全く別世界ということになる。

部を止めるか、その他の手段としては指導教師に食ってかかるくらいだろう。それが出来ない雰囲気というのだろうが、こんな理屈が通るのか。男子だろう。教師と取っ組み合い、殴り合いの喧嘩をして抗議するというのが昔の平均値だ。それもないというのなら、何の自由も無かったと戦後民主主義者がいいつのる旧教育体制の方がまだ自由があったということになる。少なくとも人格の独立、男子の覇気といった人間の基本的な性格は破壊されていなかった。こういうものを破壊したのは戦後の教育だよ。

家庭もどうなっているかの、よくわからない。いきなり、親にも打ち明けず、相談せずに自殺したのかね。

分からないことだらけだ。

最後に体罰について。これも程度を考えず、定義もせずに一律に善悪を論じるのは雑すぎるが、私見を言えば、私は体罰に絶対反対である。体罰に対する抗議をすべきだ。退部するか、教師と対峙するか、外部にあるいは家庭に訴えるかするのが普通ではないのか。

これまでにも類似のケースがあって、学校、教育委員会も嘘を言って言い逃れてきたそうだ。だから抗議してもしょうがないというのか。まさか退部の自由まで奪われていたとは思えないが。