東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

ゆすり屋は撃たない、15

2013-06-06 20:40:41 | 国際・政治
野中広務は発言時期まで指定された。勿論彼は確信犯である。発表するタイミングを含めてすべてシナ政府の指示に従っている。

ちょうど、ガチガチの共産党員が中央の指示で、どんな命令でも言われた通りに実行するように、野中はシナの指示に従っている。

つまり、確信犯であり、言わされているのである。

一つの証拠として発言のタイミングをあげよう。野中が自分の政治的信念で公表するなら、今ではなくて、紛争が始まった段階で発表すべきである。いや、発表すべきという訳ではないが、民主党政権時代なら民主党の首脳に伝えるべきであった。また現在なら自民党の幹部に彼なりの進言をすべきだろう。

相手の国に行って、相手に向ってご注進する形をとることなど、あってはならないことだ。

私の推測はこうである。今まで野中はシナから発表を禁じられていた。いや、この言い方は語弊があるが、彼の痴呆化した脳中で形成されたあの内容をご主人様であるシナ政府に、どうしましょう、これを発表しましょうかと、忠臣ぶって相談していたのだろう。

あるいは、シナから実はね田中先生との間でこういう話があってね、と言われた。野中は勿論党中央の言うことを疑うことはありえない。

そうしたら、シナ政府はいやそれはいかん、と今まで止めていた。なぜなら武力攻撃をちらつかせながら、あれはシナ固有の領土だと言っている時に、こういう発言はシナの利益に反する。シナが譲歩したような印象を与えることを心配した。

ところが、武力で威嚇してもちっともうまくいかない。それで「棚上げ論」を持ち出して日本を油断させようとした。それで一連のシナリオを書いて野中には初めて発言を許したのである。一連のシナの手からこれは確認できる。

すなわち、シンガポールの会議でシナ軍首脳が棚上げ論のアドバルーンをあげた直後に野中を北京に呼びつけて発表させたということだろう。そうして今週末のオバマとの会談でなんとか棚上げ論でまとめたいという思惑だ。

シナに呼びつけられた野中は、「野中よ、長い間お前を飼っていたのは、この日のためであるぞ、ぬかるなよ」と発破をかけられた。しくじればヤクザの掟で鉛筆で自分の名前の上に線を引かれる。失敗は許されない。注

シナもやきが回ったというか、もともと猿芝居の京劇しか出来ないのか、こういう見え見えの田舎芝居を見せられては日本人に馬鹿にされるだけだ。

こういう時が一番危険である。日本がちょっとでも気を緩めれあば尖閣に上陸を試みるに違いない。日本は一段と尖閣海域での警戒を厳重にしなければならない。

注:チャンドラーのペンシルという小説がある。邦題失念、またこの作品は原文でも二、三度タイトルが変わっていてpencilから又変わっているかも知れない。マフィアの暗殺から逃亡する男の話である。マフィアでは自分の名前の上に鉛筆で横線を引かれると、それはボスからの抹殺指令を意味する。





ゆすり屋は撃たない、14

2013-06-06 08:42:18 | 国際・政治
彼等史の略述から始めよう。

* まず田中角栄:

1972年日中国交樹立

1983年 ロッキード裁判第一審で有罪判決、すでに田中は政界を引退していた。

1985年 脳梗塞で言語能力をまったく失う。日常的なアルコール過剰飲酒によるものと言う。

裁判中に毎日ウィスキーをがぶ飲みしてアルコール依存症になっていた。

1993年 死去

* つぎに野中広務:

1925年生まれ 87歳

1983年 京都府議、京都府副知事を経て衆議院初当選

2003年 政界引退


* 野中広務が中央政界に進出し、まだ一年生議員だったときに田中角栄はロッキード事件被告で政界を引退していた。その頃に田中はすでにアルコール依存症だったと考えられる。

一年生議員の野中に国家の外交、内政機密に関わるようなことを角栄が話すことはありえない。田中がそういうことを漏らすとしたら1972年当時田中の片腕となり、田中を補佐していた政治家が相手だろう。つまり野中は嘘をついていると断言して間違いない。

1972年の交渉の時に、周恩来が尖閣の問題を避けたがっていたというのは本当のようだ(産經新聞ほか)。その時の様子を、田中が1972年当時の側近に周恩来の身振りそぶりまで交えて話していたことはあり得る。

それを聞いた政治家が勝手に色々と解釈して、又聞きで何人かの政治家の間にひろまり、耳打ち情報が何人かの耳を経て野中の耳に入ったことは考えられる。

それは既に元の情報とは似ても付かないものであったろうし、加えて御年87歳というぼけ老人の脳のなかでさらに変形加工されて、今回の馬鹿話になっていることは間違いのないところである。

正面きっての正論はこれからも出てくるだろうし、私はまず迂遠と思われるが、意外に決定的と思われる事実から始めたわけである。

&: 今朝の産經新聞「極論御免」というコラムによると、野中が田中から聞いたのは日中国交間もない頃だと野中は言っているそうだ。野中は何処かの町長か京都府議だったころだろう。箱根で開かれた田中派の研修会で「直接」聞いたという。

驚くじゃないか、代議士にもなっていない地方議員に元首相がどこにも書いてないことを話すかね。こういう強弁をする野中というのはどういう男なのだ。

もし田中が話したというなら、その時点で田中は政治家失格で犯罪者である。野中は大恩人をおとしめるようなことを言っているわけだな。

嘘をつけば付くほど、おかしな所が出てくるものだが、この話で田中から「直接」聞いたというのはどういうことだ。
直接というのはどういう意味だ。田中と二人きりでさしでということをほのめかしているのだろう。もし、他の研修生が一緒に聞いているなら、彼らから話が出てこないのはおかしい。

田中が一介の府議にサシで余人を交えずにこんなことを話したというのは大嘘に決まっている。そうでなければ田中は其の頃から精神に異常を来していたことになる。