東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

縁故三代限り

2013-07-05 20:46:40 | 国際・政治
縁故政治はどんなにうまく言っても三代限りという法則がある。

縁故政治の内包する負の要因を押さえつけられるのはせいぜい二代目か甘く見て三代目だからだ。

縁故に固有の欠点として私欲に引き摺られる身贔屓、他の人間からみれば不公平というルサンチマンが大きなうねりとして襲ってくるわけだ。

実力者それに登用された重要人物の質も一代目から二代目、三代目と必然的に劣化してもともとのメリットである人材発掘の意味がなくなってくる。ちょうどこの二代目から三代目が大正時代から昭和の初めなんだな。

そうして官僚制度の完成もそのころだ。一番完備した官僚制度とはなんだと思うか。それは軍事官僚制度であった。すなわち、陸軍省、大本営、海軍省、海軍軍令部という官僚制度である。シナの科挙を越える官僚制度であった。

現在で言えば、財務省とか経産省、厚生労働省などかな。若い人は軍事官僚など知らないというが、心配しなくていい。いまの官僚制度と同じだ。お金を締めるほうでは財務省、浪費する方では国交省や厚生労働省の両方を兼ね備えていたのが軍事官僚である。

縁故三代限りの限界が近づくころに、縁故の利点を取り入れ、官僚制度の弊害を排除した政治制度、環境、風土を実現出来なかったのが亡国に直結した。

敗戦でガラガラポンで出直したあとも、いまだにそういう政治環境は日本に出現していない。




縁故政治なくして強力な外交は実現出来ない

2013-07-05 20:07:42 | 国際・政治
二番目の命題から手をつけよう。明治維新政府の外交を例に取ろう。

二番目の命題で一番言いたいのは「公正」な完備した官僚制度では強力な外交を行えないということ。

混沌、混乱のなかで誕生した維新政府には官僚制度などない。修羅場をを身を張ってくぐりぬけ、おのれの知恵のみで生き抜いてきた明治政府の実力者は当然のことながら自分の縁故を中心として回りを固めた。これを藩閥政治という。そしてこの時代に近代日本の輝かしい対外的成果が集中していることを考えるべきである。

明治の末から大正時代には官僚制度も整備されてきたが、それとともに、日本の政治が内部から腐敗してきたのは皮肉なことだ。何故だ、とこの観点から考察した学者がいるかね。いないだろう。だから意味もない議論しか出てこないのだ。

自分の縁故の人間のことはよく知っている。長い間の観察で彼らの実力を把握している。縁故だから長期間計画的に彼らを使える。一番効率的な人事だ。

実力者が自分の縁故を使うから、長期間強力なバックアップが出来る。特に外交では内政に顧慮せずに仕事に集中出来ることが成功する不可欠の条件である。これは会社の対外折衝部門のことを考えても分かる。

そとで、外交、渉外に奔走している間に、本社で、国内で陰謀を企んだり、後ろから鉄砲を撃ったり、脚をすくおうとしている連中を気にしていたら外交、渉外など出来ない。

「おれは聞いていない」というのが社内、国内だけでの遊弋で派閥を作っている連中の言い草である。「おれは聞いていない」ですべてひっくり返されてしまう。

実力者の強力なバックアップがある場合とは違う。

縁故者で固めることが何時も成功すると思っては行けない。明治は希有な条件が揃った時代ともいえる。

縁故者を使う側が傑出した人物であったことである。そうでないと、縁故利用は私欲に堕する。縁故者だから其の人物の実力を正確に把握出来る。人間の観察力はそう広範囲に及ぶ者ではない。何時の時代でもせいぜい縁故者に限られる。

明治政府はまた、実力のすでによく知られた徳川幕府の遺臣を活用した。そして彼らが大きな業績を残している。

官僚制度でピックアップ出来るのは、最初の段階で学歴、試験の成績しか判断材料がない。又、その後の勤務評定でも機械的な減点主義で政治的外交的能力の把握は(まったく)不可能である。現在の官僚監理制度はせいぜい下級官僚の品質管理に有効なだけである。










二つの命題

2013-07-05 08:25:33 | 国際・政治
* 弱い国家が平和であり得るか

* コネ無くして有効強力な政治外交が行えるか

結論を先に言う。いずれも否である。

かなり厄介な仕事で、一足す一は二でして、しかりしこうして、なんてやってると薄められてなんだか分からないなる。

いきおい、千切っては投げ、千切っては投げという順不同のやりかたになるだろう。

以上でマエセツ(前説)おわり。