薩摩藩の経済改革の続きだ。余談をひとつ。島津重豪は娘を11代将軍家斉の正室に送り込んだ。関ヶ原以来幕府に睨まれている外様大名が将軍の舅になったのにはびっくり仰天で面白い話があるだろうが、それはさておき、
この正室がたくさん子を産んだ。NHKの篤姫を見るとわかるように跡取りのための種とりと育種は将軍家にとって最重要課題である。将軍家定の嫁に篤姫をという動きの一つの動機には、重豪の娘はよう子供を産んだ。薩摩の女は多産系だという評価も含まれていたという。
それで篤姫は大奥に入ったのだが、肝心の亭主のほうが種切れになっていたので、という話だ。
さて次回はまず借金の踏み倒しから始まった経済改革について。