江戸時代に破たんした藩の財政を改革したという例はいくつかあるようだが、薩摩藩の改革は異色である。言ってみれば不可能な土壌に大輪の花を咲かせたようなものである。
まず言っておかなければならないが、藩士すなわち侍とは現在のキャリア官僚の元型にあたり、改革とは無縁である。現在の笑止な茶番劇は官僚に頼って経済改革をしようと夢見ることであるが、江戸時代においても本質的には不可能事である。高級官僚を切り捨ててこそ経済改革を実現できる。
そのうちでも、薩摩藩はとくに藩士の特権がつよく、その下に郷士という身分があって、これがいじめるものがないものだから農民を搾取する。しかも藩士、郷士の比率が他藩にくらべて異常に高い。すなわち農民は非生産者であるサムライを支える負担が極めて重い。
わかりやすく言えば将来の年金制度では一人の青年が二人の老人の年金を支えると大騒ぎしているが、そのようなものである。
そこでだ。18世紀の終わりに島津秀豪というのが藩主になった。これが大変な浪費家、派手好き、西洋ブランドものに目がない。いわゆる蘭癖家のはしりの一人だ。よく彼の孫の斉彬が同じように蘭癖家といわれ浪費癖、ばらまき予算が問題にされるが、これは祖父の隔世遺伝である。
もっとも斉彬をついだ(実質的に)異母弟の久光は締まり屋であったし、彼らの父で重豪のむすこである斉興も締まり屋であった。かれが斉彬になかなか藩主の座を譲らなかったのも斉彬の浪費癖を心配したからである。斉興はおゆらさまの旦那ネ。テレビ篤姫にも時々出てくるベ。