東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

お油羅さま

2008-07-26 14:05:13 | 篤姫

薩摩藩の国父になる久光の生母お油羅がまた篤姫で出番ですね。由良ともかく。ゆらとも書く。

昔は忌み名ということがあって藩主の側室であっても、下の者が名前を呼ぶなどということはなかったのであるが、このお由良という名前の響きからすると町娘時代の通り名のようだ。

なにか考証があったら教えてもらいたい。おそらく、斉彬派の下級武士あたりがさげすんで町娘時代の名前を口にしていたのではないか。いずれにしても他にいかめしい?名前があったのだろう。於一ではなくて篤姫のような。

NHKの篤姫の終わりで毎回一口コラムみたいなのがあるだろう。あそこでお由良の名前の周辺をやってみたら面白いと思うよ。

どころでおゆらさまの戒名は何であったかな。度忘れした。

三田村の「薩摩藩お家騒動」ではお油羅とあったようだ。NHKはそれにならったのかな。直木の「南国太平記」ではなんであったか、忘れた。

おゆらの出自については二説あるようだ。ひとつは両国の船宿のむすめ、もう一つは本所深川あたりの大工の娘というものだ。直木三十五は大工説だった。

船宿といっても今でいう遊漁船をすこし持っているところから大きな回船問屋まである。江戸時代の回船問屋の大きいのは、現代の日本郵船とおなじ社会的、経済的意味合いがある。

なにしろ、これらの説は最初から悪意を持っている反おゆら派から流されたものだから、ことさらに歪曲された情報であることは間違いない。

大工といっても、まあ大工の棟梁ということだろうが、大工が二、三人しかいないところがら、大大名や幕府の普請を一手に扱う、現代でいえばゼネコンみたいなところがある。

さて、お由良の実家は遊漁船屋か、巨大回船問屋か。町の大工かゼネコンか。これについては私は昔から自説をもっているのであるが、次回はそれを述べよう。もっとも、考証に基づくものではなくて、幕末の薩摩藩の経済改革路線からの推理であるが。