安っぽい司馬史観を毛嫌いするオイラもさすがにテレビ東京には付いていけなかった。
篤姫である。数日前の番組で、井伊大老の桜田門外での暗殺も篤姫の指令だという。また、夫の家定も篤姫が毒殺したそうだ。その上次の将軍だった家茂も毒殺したという。
家茂の死亡には自然でないところが多く何らかの作為が感じられる。たしか彼は長州征伐のさなかに大阪の本陣で急死している。年は20歳か。ただ江戸の篤姫が毒殺を指令したかどうかとなるとどうもね。
家定、家茂の死も殺人として、上記の三殺人の首謀者が篤姫とする説には、さすがの私も足をすくわれた感じだ。上には上があるものよのう。
しかし、もし本当だとすると篤姫は日本のカトリーヌ・ドゥ・メデシスたるにふさわしい。のちに斉彬が鹿児島で急死すると、西郷隆盛は義弟久光の側室お由良が毒殺したと騒ぎ立てたが、これはカトリーヌ篤姫の裏返しだ。「想像力は身の丈を超えない」からね。毒殺フェチの西郷隆盛がそう思ったのも無理は無い。
ちなみに、お由良を攻撃するために西郷が作った政治パンフレットが直木三十五「南国太平記」の種本である。
そもそも斉彬には毒薬が付いて回る。薩摩藩の財政を立て直した調所笑左衛門は父斉興の側近である。斉彬は自分が早く藩主になるために、邪魔な父の寵臣を陰謀で追い込んで(琉球密貿易の一件で)服毒自殺させている。
服毒自殺ということになっているが、これは大いに怪しい。武士たるものが責任を取って自殺するのに服毒というのは理解しがたい不自然さだ。これも人目のない江戸屋敷の奥で斉彬の指示で調所を毒殺して、自殺に見せかけた可能性が非常に高い。これは12チャンネルの仮説よりかはるかに現実性がある。
江戸時代後半の幕府と薩摩藩の関係は不自然なことが多すぎる。まず岐阜県の大規模なの治水工事から話をはじめるとするか。
18世紀の半ばのことではないか。岐阜県の治水工事を無償で薩摩藩が幕府から命じられた。稀代の難工事、大工事である。その苛酷さはまさに江戸時代の大規模派遣労働であった。薩摩藩は莫大な借金を抱えた。工事の期日についても無慈悲な要求が出されて、たしか薩摩藩の工事責任者は何人か切腹している。
この工事の犠牲者は薩摩では義士といわれて今でも顕彰されている。それがそのすぐ後斉彬の祖父重豪が藩主の時代には、その娘が徳川将軍の正室になっている。おそらく、外様大名の娘が将軍家に入った最初ではないのか。このいきさつもきわめて不自然である。
それからあっという間に薩摩は幕府を操るようになる。こういうことが幕府の権威を失墜させることになるのをまるで幕府の中枢の人間が気がつかなかったような異様な成り行きである。だめ押しは勿論篤姫が再度徳川将軍家に嫁いだことである。斉彬は祖父の政略結婚政策のうまみをまねたのだろう。
異様といえば、徳川譜代の大名で代々老中を多く出してきた阿部家の正弘と斉彬の親密ぶりである。将軍の跡取りのことまで共同謀議をするナカになったことである。外様が幕政に影響を与えるなどかってなかったことである。
このくだりはドラマは素直に伝承にしたがっている。まず、阿部正弘と斉彬のホモ関係でもなければ考えられない事態なのである。