照の富士との一戦の前に高安が勝ったときに、これはひょっとすると稀勢の里が勝つかも知れないと思った。西だったか東だったか高安は同じ側から土俵にあがった。従って稀勢の里にも高安が水をつけた。相撲の東西というのはルーレットの赤と黒あるいは偶数と奇数のように勝負、出目が偏ることが多い。相撲では東西おなじ側の力士が勝ち続けることが多い。
同じことをオカルト的に論評すると、神道では負けた力士はその日は神様に見放された、いわば穢れた力士として後続の力士に力水を付けることを禁じられている。つまり昨日あのときは勝ち運或は神様は稀勢の里サイドにあった。まして高安は同じ部屋の弟弟子である。部屋にあの瞬間運があったともいえる。以上オカルトによる評価終わり。
だから本割りではひょっとすると、と考えたが優勝決定戦は無理だろうと思った。本割りも決定戦も普段稀勢の里が見せない型の相撲をとったが、あれは経験の差だろう。相撲のキャリアは稀勢の里の方が断然長い。彼は中学卒業後相撲界に入ったという。しかも30歳で横綱になるまでの経験がある。長いキャリアでは色々なスタイルの相撲をとっていただろう。まして新弟子とか幕下の時代はいまのような型に落ち着いていないだろうから様々な取り方の経験が記憶に有る筈である。
その経験がうまく大事な瞬間に蘇ったと思われる。それにしても怪我が足や膝でなかったのも幸いした。膝を故障していたらああした動きは出来ない。表彰式ではテープを剥がしていたが、負傷は二の腕の打撲傷のようだ。肩の関節や骨折だったらああはいかなかった。