宇井純さんが死去した。東京大学で1970年から自主j講座「公害原論」を開き、昇進への道を自ら断ち切り、万年助手と揶揄されながらも訴え続けた彼の航跡は、私のようなものが評価して余りある。
自らの研究成果や手法などを、研究室に留めることなく、広く一般市民に開放した。企業の犯罪、反社会的行為や、情報公開を化学者の立場から、行なったのである。又、全国に自主講座の築いたネットワークを活用して、公害反対運動の情報サービスや・ネットワークを作り上げた。
宇井さんは、国内よりも国際的な評価のほうが高い。「UNEPのグローバル賞」や「アジア太平洋環境賞」など受賞で国際的評価を受けている。化学者は研究室に閉じこもり、黙々と研究して、社会的には中立という、イメージを宇井さんは一掃した。
宇井さんは、自ら行動することで反社会的企業を厳しく批判した。北海道の古い山奥のある鉱山で、友人の獣医師が彼に会ったことがあった。戦後まもなく閉山されたこの金山は、その後ほとんど放置されていたが、宇井さんが研究生と、地価数百メートルから湧き出る鉱水を調査していたの である。全く頭が下がる思いである。現在その鉱山は、閉山した後も長年鉱水の管理を行なうようになっている。宇井さんの見えないところでの功績である。でなければ、こんな僻地はいつも見捨てられるだけである。
1987年から、沖縄大学の教授に転身してからは沖縄の環境活動にも積極的に参加し、提言していました。原子力発電の告発をされていた、高木仁三郎さんとともに、日本の公害に対する、化学者、科学者としての立場から発言さてていた、両氏が亡くなり今後の日本はどうなるのか心配である。
宇井純さんのご冥福をお祈りいたします。