洞爺湖サミットは、事前の最大のテーマであった「地球温暖化対策」は、絵空事に終わっと言える。G8の中では、最後まで渋っていたアメリカは、インドや中国が反発するのを望んでいたのでないかと思われる。こいつらのために、数値目標が出せなかったと言っているからである。
最も現実的な提案となるはずであった、2020年の中期目標すら提言できなかった。福田首相が、ブッシュに配慮したのであろう。温暖化対策は、エネルギー問題や食慮問題に比べると、「理念」の中に封じ込まれた感がある。
MEM(主要排出国)が、かつては世界を席巻していた経済大国だけではない。インドや中国やブラジルなどを無視して、温暖化は論ずることができなかったのである。
それでは、石油や穀物を買い漁り価格高騰の主因となってい る、投機マネー対策が打ち出せたのかとなると、何もない。投機マネーは市場原理の中、やりたい放題である。
アフリカ諸国をたくさん招いてはいたが、中東は一国も参加していない。アフリカでは、最も問題となっている、治安問題にはほとんど触れることもなく援助の話ばかりである。
サミットは、2001年のイタリアから遠隔地で開かれるようになった。国家間の対話がしだいに薄らいできた。
経済活動のグローバル化が、サミットの主題だったと思われるが、次第に抵抗が大きくなってきている。皮肉なことに、グローバル化反対のした連中が、環境問題のグローバル化の問題提起をしている。問題提起は、大国はやることがない。多くのNGOが主体となって、小さな会議を周辺で開かれていたが、提案としてはこちらの方がよっぽど中身があった。
要するに、今回G8の実行内容は国連に任せるとしたことから窺えるように、サミットはその使命を終えたといえる。先進国だけでは、問題提言も解決もできないのである。
だからと言ってサルコジの提案のように、サミット国を増やしても論議が余計複雑になるだけである。サミットは大国が、大国であることの自己満足会議になりつつある。