そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

誰でもいいから雇う

2008-07-27 | 市場経済

かつては、企業などが人を雇う時には、筆記試験でふるい落とし面接で人材を評価して決めたものである。当社はあなたを必要としていると、嘘でもいいからおだてに乗せられて雇用されたものである。

今でもそうした企業がないとは思わないが、少なくとも不特定就労が常態の派遣会社にとっては結局は「誰でもいいから」雇用するのである。体力があって仕事が欲しい人物であれば、誰でもいいから雇うことになる。

バブルがはじけた後に、政府は企業の保護育成をすることで景気の浮揚を狙った。結局は、企業の業績は伸び景気は回復した。数字上の問題である。物価が下がった企業業績が上がった、景気は回復した。7年間も好景気が続いた。

この、戦後最大の好景気を庶民は実感していない。賃金が上がらなかったからである。その一方で、やけに儲けた企業と労働者に生じ、それを「格差」と呼んだのである。

企業収益が上がりながらも、労働者に還元しないのを、何故「搾取」と表現せずに、格差と呼ぶのかはわからないが、市場経済主義では当然このようなことが起きる。ここにいる労働者は「誰でもいい」人たちである。

小林多喜二の「蟹工船」が、若者たちに読まれる現状は、まさしく企業が搾取している状況だと いえる。多喜二は、人々の怒りの矛先の持って行き方を示していた。労働者の団結と、企業のSippo搾取を暴くことである。

ところが現代の若者たちは、その怒りの矛先を、不特定の他人の「誰でもいい」人として、路上で見つけて刃を突き立てる。騒いでもらうことで初めて、居場所のなかった誰でもよかったところから抜けて、自分の居場所を確認するのである。

通り魔事件は、誰でも良かったと発言するのは、自らが誰でもよかったと、社会の評価されたからに他ならない。

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