母の遺産の一部を兄と二人で、シマフクロウの保護活動をやっている山本純朗さんに預けた。彼は何もないところから、棺桶のような木箱を作って危機縛りつけて、シマフクロウの保護活動をやっていた。母は、環境の変化を大きく嘆いていた。
同郷だったこともあって、彼を何かの形で支援をしたいと思っていた。大型のシマフクロウの保護には金がかかるのでと思っていた程度でではある。
ところで、一昔前ならほとんど無関心なことであったのではないかと思われる。一般の人間でも関心を持ってくれるだけでも、それは意味があると思えるようになった。少し前なら、角を立てて保護活動の基本を説いていたところである。一昔前なら、定職を投げ売って保護活動をやるような「変人」を、社会は奇異な目で時折扱う程度であった。
全体を捉えることもままならないような人たちでも、一定の評価をするようになった。ごみも分別されるし、片付けるようになった。それでもごみが目立つが、目立つとということは限定されてきた証拠である。
タンチョウの数が増えて、一般の酪農家の牛舎にまで来ることも珍しくない。タンチョウを追い払う人のほとんどいない。苦情は言うけれど、受け入れないわけではない。
食糧や環境には危機感を誰もが、潜在的に持っているようになった。国益ばかりを優先する国家のようには、個人は考えなくなってきたようである。他所の犠牲は容認する人たちが目立つようになった。
説明すると多くの人たちが、大所高所で納得はしてくれる。少しづつ時代は変わってきているような気がする。