1981年6月7日、イスラエル空軍機は、イラクの核施設”オシラク”を空爆し破壊した。空爆したのは、半年前にアメリカから購入したF16、8機であった。それまでの、イスラエル空軍機のファントムでは、往復1800キロは飛べなかった。
バクダッド郊外、オシラクの核施設は当時世界最大のものであった。アメリカと対峙姿勢をとっていた、フランスの援助によるものであった。石油が欲しいフランスと、核技術を持ちたいイラクの思惑が一致していた。
イラクのフセイン大統領は、この原子力発電施設で得た技術で、あるいはこれを隠れ蓑に、核兵器の開発を計画していたとして、イスラエルは空爆に踏み切った。
国連では、明らかな国際法に違反するイスラエルに非難が集中したが、就任したばかりのレーガン政権のアメリカがイスラエルを擁護したために、国連は制裁すらできなかった。結果的に容認したことになる。
イスラエル首相のベギンは、自衛のための当然の行為であったと国民に報告し、熱狂的な支持 を得た。
このときとった、イスラエルの行為はその後、昨年のシリアの核施設(今年になって北朝鮮が作 ったものと発表されている)の空爆へと続く。自衛のためなら、先制攻撃をも許される。
ブッシュがイラクを侵攻したのも同じ思想である。大量破壊兵器があるので、こちらからそれを破壊するというのである。お前のお旦那が、変なものを持っているからと勝手に人のうちには行って、何もかも破壊する。
ここには不条理な力の論理しかない。強いものが弱いものを徹底的に叩く。フセインを擁護するわけではないが、フセインは見せつけられてきた力の論理を、忠実に実行しようとしただけでないのか。
こうした思想は、27年前のオシラク攻撃から延々と続いていることなのである。国家とは何のためにあるのか。