そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

食糧価格に鈍感な日本人

2011-01-18 | 政治と金

最近になってようやく日本のメディアは食糧価格の高騰を報じはじめるようになった。しかし、それは製品価格であって穀物などの高騰の問題点を報じているの19852010 ではない。2008年にオイルマネーが穀物を買い漁って上昇させて大騒ぎになった時より、報道の質も量も格段に低い。ここには、日本はTPPを受け入れるために、すでに暗黙の了解があるかに思えてならない。

2008年に最も高騰したのはコメである。とりわけ、工業化へと政策転換の途に就いたばかりのフィリッピンでは、悲惨であった。コメ騒動があちこちで起きている。日本の報道はほとんどなかったように記憶している。この時の国際取引価格は、4倍にもなったのである。日本が騒がなかったのは、曲がりなりにも日本ではコメは自給しているからである。

今回の日本の報道が鈍いのも、円高が40%も上がった穀物価格(先日FAOが発表した表を参照ください。クリックすると大きくなります)を帳消しにしているからである。ここに日本人が、穀物の取引価格に鈍感になる理由がある。何とかうまく逃げているように見えるが、危機感が起きない不幸な状況と言える。

日本は穀物を1000万トン生産している。イギリスは3000万トンである。ドイツは5000万トン生産している。イギリスは日本の面積も人口も半分、ドイツは日本の3分の2である。先進国とはなにかをこの数字は物語っている。国家は頑として、食料を自賄いする姿勢を崩さないのである。

TPPのように無関税取引は、ガードなしの殴られっぱなしのボクシングのようなものである。打たれ強い方が生き残るのである。究極の新自由主義と言える。食べ物をそのように粗末に扱うことを、我々は親から強く窘められて育ってきた。日本は伝統の食文化を放棄し、一時の経済評価に食べ物を委ねてしまうシステムを導入しようとしている。

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