ハイチで200万人を超える人が亡くなった大地震から1年経過した。世界最貧国と定冠詞のようにつけられているこの国は、30年前まではGDPは高くはなかったが、決して貧しい国にではなかったのである。少なくとも、トウモロコシを主食としコメを賄う国は、飢餓などなく食糧は足りていたのである。
アメリカがこの国に対して、1990年代に関税の半減を押し付けた。時のアリステイド政権はこれを受けたのであるが、アメリカから安価なトウモロコシとコメを輸入せざるを得なくなってしまった。農村を離れた農民は、都会の周辺でスラム街を作り、森の木を切って炭を作るようになった。毎年のように洪水被害が起きるようになって、更に農地は荒れるようになった。
ハイチのマザーテレサと言われる、日本人医師の須藤昭子さん(83)は、ハイチの農村が復活することがこの国を救う唯一の道だと説いている。都会に出た農民は、泥と塩にショートニングを混ぜた、泥クッキーで胃腑を満たしている。
今回南部地域の独立投票が行われたアフリカ最大の面積を誇るスーダンも、同様に決して貧しい国ではなかったのである。金はなかったかったかもしれないが、人々が争い合いなじり合う国家ではなった。アメリカがこの国に、綿花の栽培を持ちかけた。換金作物として大規模な経営をやれば外貨を稼いで、国は豊かになると持ちかけた。時の権力者は早速これに乗りかかった。
アメリカから賄賂があったかどうかは分からないが、国家プロジェクトの農場にはアメリカの大型の耕作機械が大量に持ち込まれた。3年経って綿花が収穫される頃になると、国際価格暴落したのである。価格は回復することなく、大きな債務を抱えたプロジェクトは破綻した。大型トラクターは放置され農地は小麦すら生産できなくなってしまった。
この世界最貧国のスーダンとハイチは、アメリカの資本力で食料生産を放棄させられ、貧しくても裕だった生活を失ったのである。ほかにも理由はあり、複合的な要素はあると思われるが、少なくとも国家と国民に大きな負担となり、負のスパイラルへと転落していったのは間違いない。
食べ物を失った国家の姿がここに見て取れる。日本は今、同様にアメリカから関税の撤廃を強要され、国家として最低限の食糧の自給をら失う道を選択しようとしている。日本はそうはならないという補償などどこにもない。TPP参加は、極めて危険な選択の岐路に立つことを意味するのである。