別海九条の会で、この町に残る戦争の遺跡を訪ねてみた。戦前面積では、東洋最大の軍事施設がこの町にあった。軍馬補充部が、19000ヘクタール もあった。朝鮮人拉致労働者で建設された飛行場も、北東部に5つもあった。十分活用される前に終戦を迎えた。
そうした中に奇跡的に残った奉安殿が、別海町の柏野にある。奉安殿とは、(国民)小学校などの、屋外に独立して建てられた天皇の御真影(写真のことである)、それに教育勅語を祭るものである。
生徒は必ず前を通る時には、最敬礼をしなければならない。皇国日本の象徴的建物である。教師も一般人も、最敬礼して通らねばならない。
戦後GHQに撤去を命じられ、数千ともいわれた奉安殿はことごとく廃棄された。柏野小学校跡地に残る奉安殿は、終戦の前の年に小学校の合併があった。残された奉安殿は、地域で神社の祭壇として使うこ とで残された。
GHQの命令からも、神殿と言うことで奇跡的に生き残ったのである。中を見ると、神殿の上に菊の御紋が確認できる。奇妙な光景となっている。(写真を確認ください。クリックする大きくなります)
日本の戦争の核になったのは、皇国史観である。軍事的遂行をする場合に、国内に世論を起こさせず、1億総火の玉となって戦うために、天皇を中心とする神の国日本の定義は欠かせないものであった。
とりわけ子どもたちに軍事教育を行うためには、教育勅語と皇国史観を身をもって体験させるには、奉安殿は大きな働きをしたのである。
北海道でも4基ほど、日本全国でも50ほどしか残っていない。当町のようなへき地に、奇跡的に残る軍国日本の象徴であった奉安殿の保護を、会として町に申し入れるつもりである。