そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

自殺した酪農家

2011-06-14 | 原発と再生可能エネルギー

 福島県相馬市の45歳の酪農家が自殺した。フィリッピンからの嫁さんPhoto を、3人の子供とともに実家に帰していた。出荷停止になって、搾乳した牛乳を廃棄する毎日だったが、結局3月末に乳牛は全頭売却した。

 この 酪農家は、昨年建てたばかりの堆肥舎で首をつった。壁には沢山の周辺知人へのお礼とともに、恨みに満ちた言葉か書き捨てられていた。農家は全てそうだが、とりわけ畜産農家は、原発の被害を深刻に受ける。

 畜産農家の中でも、酪農家はさらに厳しい。毎日生産するために、今回のような基準の、曖昧な放射線被害にうろたえるばかりである。さらに何よりも大切な牛乳を廃棄する、断腸の思いに耐えるにはあまりにも過酷である。

 酪農家は誰もが負債を多かれ少なかれ背負っている。収入を断たれた酪農家は、毎日餌を与えるかわいい牛を愛玩動物のように飼うわけにはいかない。全国の酪農家とその関係者は、昨年建てたばかりの堆肥舎で自らの命を絶ったこの酪農家の自殺を、涙なくして見ることが出来ない。110614_2

 自殺した酪農家が、壁に残した言葉である。「原発で手足ちぎれる酪農家」あるいは「原発さえなければ」と言うような心情を、東電や原発推進派の人たちは理解できるだろうか。

 このブログで何度も同じことを書くが、核の事故は一般の事故とは全く異なる。事故はつきものだとか、すぐに影響はないとか、核に対する無知な言葉でマスコミは彩られている。

 報道で、汚染物質を除去したなどと、まるで放射性物質がなくなったような表現を平気で行う。表面を削っても、汚染した土は存在する。冷却水のセシュウムを除去したとしてるが、場所を変えたにすぎず汚染物質がなくなるまで、10万年を要することなど書かれることはない。 

コメント (3)
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