橋下が大阪の地方行政の勢いで作り上げた、維新の会である。国政に打って出るためには、自らが大阪の首長でいると言う矛盾の解決のため、党首を探していた。安倍晋三には蹴られたが、石原慎太郎は歓迎された。
橋下と石原では、交渉するにはあまりにも年齢や経歴に差がある。たちあがれ日本の面々は切って欲しいというのを、石原は維新八策を丸呑みしてまでねじ込んだ。と、思われてきた。
ところが選挙が近づき、政策の具体性が問われるようになると、がぜん石原が息を吹き返してきた。大阪府民や市民に直接接触する位置にいたため、多少は庶民の目線が橋下にはあった。それが消えて失せえたのだ。
維新の会は原発は容認に回った。元々、橋下の脱原発は「なんちゃって脱原発」と、揶揄されていたが、結局は続原発で落ち着いた。フェードアウトすると言っていたが、今日は”淘汰”すると言っていた。よく判らんが続原発である。
憲法は94条に手を加えて、9条を国民に問うハズだったが、今回は自主憲法御制定となっている。現憲法を廃棄し、自主憲法を制定するのは、膨大な時間がかかる。石原の年齢では足りない。
TPPの参加は、国益に反する場合は反対となった。石原の従前の主張が張り付けられた形である。議員定数も、半減が3割から5割り減に修正されている。
橋下がよくも悪くも、自ら立ち上げた政党の維新政治塾を開いて、参加者を募って国政選挙に備えていたはずであるが、石原の強引さに折れた感がある。
橋下が石原を受け入れたことで、みんなの党と袂を分かつ形となった。本来の維新の会の形はこれ一つをとっても薄れてしまった感がある。
更に、政党間の引き合い関係として類似の政党、日本未来の党が誕生したことが大きい。エネルギーのブレインであった、飯田哲也をとられた形になり、存在感を際立す必要が生じた。
こうしたことでさらに、極右翼の石原の存在感が増したということであろう。いずれ石原は、陽のあたるところに座らされると、暴言を吐き問題となる。橋下に追い出されることにはなるであろう。
願わくば、こうした右翼団体は消えて欲しいところであるが、安倍に憲法変えるなら、公明につかないで我々と組めと公言していた。
安倍自民党に石原維新の会と野田民主党と、多少の位置は異なっても、急速に政権中枢に座るであろう面々が右翼化してくることを懸念するのは我々だけではなく、アジア諸国も快く思わないであろう。