左の記事は、石原慎太郎日本維新の会共同代表の、朝日新聞のインタビュー記事
である。彼は典型的な軍国主義者であることが、この記事から判る。(クリックすると大きくなります)
最も注目したいのが、「国家の発言力をバックアップするのは軍事力であり、経済力だ。経済を蘇生させるには防衛産業が一番よい。核武装を論議することも選択肢だ」という、件である。
石原の主張は、金正恩の発想と同じである。北朝鮮が目指す強盛大国とは、核保有国として、世界に認めてもらうことである。軍事大国になるためなら、食べ物も情報もいらない、人権すら投げ打ってもいいのである。
石原が食糧問題や人権やについて語ったことを聞いたことがない。人権については、知事時代に施設を見学して障害者に対して、「ああいう人物にも人権があるの
か?」と、本音を言ったがこの男にはこの程度の感覚しかない。
韓国は大国の紛争の犠牲になり、分裂した国家である。北朝鮮は国家としての建設に失敗したのである。この国の唯一の生き残る方法が、強盛国家・軍事大国を目指したのは、ある意味当然でもあった。このことについては、大国が責任を持つべきである。
国家としての存在意義を示すためには、最も手早い方法を彼らは選択したのである。そしてそれは、あたかも戦前の日本を倣うように、すべてを兵隊さんのために国家のために、国家主席(天皇)のためにと向けるのである。
石原が、尋常小学校に入ったのは、昭和16年(1641年)である。日本軍がハワイの真珠湾を急襲し、太平洋戦争の始まった年である。大本営発表は、石原少年の闘争心を鼓舞し、国家主義へと走らせた。この男はいまだにそのままなのである。
周辺諸国に領土を奪われたと、悔しさを隠しきれない。軍国主義とは、暴力で相手を威嚇し、制圧し、略奪し、人を殺すことである。相手国も必ずや、負けずと軍事力を拡大し、止め処ない暴力の連鎖となるのである。
軍事大国は相互に威嚇し合い、畏敬の念など持つことがない。幸いなことに、石原の思惑とは異なり世界は、政治でいがみ合っても経済的なつながりが、歯止めとなっている。米中は対立しても、冷戦時代のように経済交流は切ることができなくなっているのである。
石原慎太郎も金正恩も、世界の現状を理解せずに徒に軍事力がすべてを解決する、魔法の杖と思い込み振り続けるのである。