そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

とても悲しいISの遺跡破壊

2015-04-12 | 国際・政治
ISもしくはISIS(Islamic State of Iraq and Syria:イスラム国、最近ではダーイッシュ呼ばれている)の、遺跡破壊が止まらない。
私はシルクロードを巡るのを個人的な趣味としている。一般の人より多く中央アジアに足を運んでいる。中東にも足を運んでいる。書籍の購読や直接肌で感じたことも多く、彼らの国の事情には詳しいつもりでいる。イスラム教についても一般の人より詳しく、理解を持っているつもりである。

ところが、アメリカのブッシュが火を点けた結果、権力行構造からはじき出された人たち、とりわけイランとシリアのスンニー派の、行く末の結果として生まれたISがうまれた。彼らの暴力的な側面は決定的に破壊的であり、絶望的な暴力行為を誇示する、恐怖の殺人集団となってしまった。彼らはプロパガンダが巧みであり、自らが大義を持っているため、流入する他国の若者たちは増える一方である。更には、模倣するというか追従する集団が周辺国にボロボロ出る始末である。
宗派対立がブッシュの不当な介入で露わになった。国家を超えるせめぎ合いになり連携になっている。

ISの許せないことは数多くあるが、遺跡破壊は許し難い。肖像の破壊なら、過去にもやったことはあるが、今回は遺跡の破壊である。
2000年以前の人類の遺跡、とりわけ石で作られた遺跡は感動ものである。今ほど道具もなければ、動力もない時代の文字通りの手作りのものである。人間の叡智は文明の発達に反比例して、退化しているのではないかと、石の肌に手を触れると思ったりするものである。
先人たちというより古人に近い存在であるが、彼らは僅か40年ほどの人生であり、足の赴く範囲での体験から彼らは多くのことを成し遂げている。遺跡とはそうした存在であり、私たちに言葉を越えて多くのことを教えてくれた存在である。怒りを越えたとても悲しい、ISの所業である。
コメント
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