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安倍晋三首相は同じ予算委で「レッテルを貼って議論を矮小化するのは断じて甘受できない」と述べた。
よろしい。
それでは、人間を殺すための道具「武器」あるいは「兵器」を、「防衛整備品」と呼び換えたのは安倍政権でなかったか。更にその武器を「輸出」することを、「移転」などと主語も目的語も曖昧な言葉に置き換えたのはだれだ。結果、殺人兵器の輸出し拡散させることを、「防衛整備品移転」とレッテルを貼って、武器輸出三原則のタガを外して内容を矮小化したのは、安倍政権ではないか。
古くから政府・自民党はこうしたことがお得意のようで、「戦争」を「有事」などを呼び換えたり、「戦車」を「特車」と呼んだりしている。
積極的な平和主義が、兵器もって他国に出かける姿は、どう見ても積極的軍事主義である。言葉遊びも甚だしい。ましてやこの武器持って出かける法案に、「国際平和支援法」と名前を付けることこそ、問題の転化であり矮小化と言える。
そんなことはどうでもいい。憲法九条の「・・・国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 」をどう読んだら、集団的自衛権の行使が可能だと読めるのか、安倍政権こそ議論を矮小化しているのである。最も大きな問題を横に置いて、微小な問題をことさら取り上げるのは、議論を拡散させ本質を隠ぺいするものである。
これから、安倍政権の提出する集団的自衛権行使のための安全保障法案を、本ブログでは「戦争法案」と呼ぶことにします。