そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

隣国に詫びを入れない安倍首相

2015-04-22 | 安倍晋三
安倍首相は民放の番組で、戦後年の首相談話で歴史認識は引き継ぐが、詫びは入れないと明言した。村山談話を引き継ぐと言っているのであるから、詫びを入れる必要はないというのである。何度読み返してみても、これは矛盾する表現である。
村山談話の核心は、植民地支配であり侵略したという事実であって、これは謝罪することになると繋いでこそ、談話としての意味がある。そのことを中国や韓国や周辺職は評価しているのである。植民地支配や侵略行為はあっ事実は認め、未来志向と称して飛んでしまうのである。これは村山談話を引き継いでいるとは言っていないに等しいと言える。
「侵略、植民地支配、反省の3つの言葉を使えば周辺国から評価され、世界的に輝く談話になる」と別の機会にも述べている。安倍首相は詫びの言葉など用意していない。

終戦記念日にだされるとされる、首相談話の内容を推しはかる演説が、アジア・アフリカ会議なされた。安倍首相の演説は、中国の海洋進出を念頭に置いたと思われる内容に終始している。「侵略、武力行使で他国の領土を侵さない。日本は先の大戦の深い反省とともに、法秩序を守り抜く国家であると」言ったのである。安倍首相のこれまでの発言からすると、これが最大の表現であろう。
安倍首相はこれまで、日本国の憲法を「恥ずかしい憲法である」と言っていた。村山談話についても、「自虐史観である」と批判していた。従軍慰安婦の存在も認めていない。そもそも、先の大戦と天皇が表現した言葉を今回使っているが、安倍首相は太平洋戦争はアメリカに仕掛けられた自衛の戦争と位置付けているのである。
もうすでに、この演説に対して中国と韓国が歴史認識を欠いた内容であると不快感を表明している。

最も重要であるはずの隣国には全く訪問することなく、地球儀を俯瞰する外交と称してあちこち訪問するが、いたずらに刺激するばかりである。その刺激が隣国を刺激することで、集団的自衛権行使容認を基盤を作ろうとしているのである。こうした刺激こそが、積極的平和主義の本質なのである。
同じ立場にあるドイツが周辺諸国に機会あるごとに謝罪し、現在は非常に良好な関係にあることと対照的である。メリケルの、歴史に学ばなければならないという忠告も、安倍首相はどこ吹く風である。強い反省もなければ詫びもない。言葉で少しは表現しようとしているが、安倍晋三の心根はこれと全く逆の思いであると言える。
コメント (5)
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