そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

「無言館」戦没画学生の無念から戦争を追体験せよ

2017-05-10 | 戦争
戦没画学生の主として絵画などを集めた、「無言館」という美術館が長野の上田市にある。毎年全国各地で展覧会をやっている。今年は釧路にやってきたので見に行ってきた。
無言化にも訪れたが、絵画展についても今回で三度目となる。装飾を省いた無言館は戦没者の重みを感じる静かな丘の上の美術館である。窪島氏が戦没画学生の絵画を集め始めて、今でも持ち込まれるものがあるという。窪島氏が遺族たちが大事の保管していたり、手あまししていたりする作品を収集したいたのを、かなり以前から知っていた。
初めて東京で、戦没画学生の絵画展を見た時に強い衝撃を受けた。父とほとんど同じところで、ほとんど同じころ戦死している画学生の作品をいくつか発見したからである。それぞれの作品には強い画学生たちの想いがある。
無言館の象徴的作品になっていて、今回のチケットにもなっている「編み物する婦人」であるが、作者の興梠武が出征直前に描いた作品である。モデルは妹である。病弱な妹の死を戦地で知った興梠武は、あたりかまわず大声で何日も泣き崩れていたという。その興梠も帰らぬ人になった。
出征直前までキャンバスに向かい、「あと5分、後10分この絵を描かせておくれ・・・・・小生は生きて帰らねばなりません。絵を描くために・・・」といった日高安典は、南方で戦死した。白木の箱には名前の入った紙切れが一枚入っていただけだった。気丈夫な母は奥の部屋で箱を抱きただ泣くだけだった。
父などのように一般の人は無念の死をただ噛みしめるだけであったが、画学生たちは作品という形で戦争の不条理を残してくれている。彼らは決して反戦を唱えていたわけではない。静かに自らの絵を描いていたかっただけである。
戦没画学生たちの作品は、絵画のレベルとしては無未完成のものと言えるし、総じて技術的にももう少しと思われるものも少なくはない。しかし、彼らの絵画の多くは穏やかで見る者の心を和ませてくれるものが多い。世にこうした無名の作家を紹介した、窪島氏の尽力に敬意を表したい。

最近脚本家の、倉本聰しが稲田防衛大臣の発言に、「戦争を体験したことのなない発言だ。鉄兜かぶって銃弾の雨の中に立てば解る」と述べている。作詞家・作家のなかにし礼氏も、現実感を失った今の政治家の発言や発想の危険性を指摘している。
彼らはかつては保守の側に立つと言われていた人物である。私たちは戦争の愚かさを、自らの正義信や愛国心で軍隊の必要性などを語る前に、こうした戦没画学生の絵画に触れ、彼らの無念を通じて戦争を実感するべきなのである。現行憲法は私の父たちを含めた、累々たる死体のが作り上げたものであることを、リアリティーを持って認識するべきなのである。
コメント (2)
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