「ハッピーバースデー ディア 大田先生 ハッピバースデー トゥーユー」と、大田昌秀さんは92回目の誕生日を迎えた12日昼前、入院先の那覇の病院で家族や琉球大学の教え子たちから歌で祝福を受けていた。歌が終わるころ、太田昌秀氏は眠るように息を引き取ったという。
太田氏は、太平洋戦争の沖縄戦を鉄血勤皇隊として戦い、多くの級友たちを亡くした。自分は亡くなった学友たちのために生かされている、沖縄が二度と戦争の犠牲になってはならないと、琉球大学の教授から県知事に立候補、二期を務めた。
1995年に起きた米海兵隊員らによる少女暴行事件では、沖縄代表として県民の気持ちに寄り添う形で県民総決起大会に参加し、米軍基地の整理・縮小と米軍人らの容疑者を特別扱いする日米地位協定の改定を求めた。地主が契約を拒んだ軍用地について、地主に変わって土地調書に署名押印する代理署名を拒否し、国に提訴され敗訴している。
普天間基地の廃止を橋本首相と交渉して決めた。代替え基地として、名護市辺野古沖への新基地建設には強く反対し、国はあきらめれば済むことであると言い放つ。
太田氏が建立した平和の礎は、沖縄戦で犠牲になった全ての人たち、民族や人種や立場などすべてを超えて記名、慰霊し、今でも平和を希求する沖縄の心を世界に発信する大切な場所となっている。
大田昌秀元知事の死去を受け、翁長雄志知事は、「突然の訃報に大変驚いている。心からお悔やみを申しあげる」と哀悼の言葉を述べた。大田元知事の沖縄戦の体験に触れ、「人一倍平和への思いが強く、平和行政に力を注いできた。今後も沖縄の歴史や沖縄戦の実相を後世に伝え、平和創造に向け中心となって取り組んでいただけると思っていたが、かなわぬこととなり残念でならない」と惜しんだ。菅官房長官の、木で鼻を括ったような発言と、好対照である。
金のため、自分のポストのために奔走する、現在の特に自民党議員見ていると、太田氏のように高い理想を掲げる政治家がいなくなってしまったことに何ともやるせない気持ちにさせられる。
真に沖縄の平和を世界平和を願った、太田昌秀氏のご冥福を祈りたい。
太田氏は、太平洋戦争の沖縄戦を鉄血勤皇隊として戦い、多くの級友たちを亡くした。自分は亡くなった学友たちのために生かされている、沖縄が二度と戦争の犠牲になってはならないと、琉球大学の教授から県知事に立候補、二期を務めた。
1995年に起きた米海兵隊員らによる少女暴行事件では、沖縄代表として県民の気持ちに寄り添う形で県民総決起大会に参加し、米軍基地の整理・縮小と米軍人らの容疑者を特別扱いする日米地位協定の改定を求めた。地主が契約を拒んだ軍用地について、地主に変わって土地調書に署名押印する代理署名を拒否し、国に提訴され敗訴している。
普天間基地の廃止を橋本首相と交渉して決めた。代替え基地として、名護市辺野古沖への新基地建設には強く反対し、国はあきらめれば済むことであると言い放つ。
太田氏が建立した平和の礎は、沖縄戦で犠牲になった全ての人たち、民族や人種や立場などすべてを超えて記名、慰霊し、今でも平和を希求する沖縄の心を世界に発信する大切な場所となっている。
大田昌秀元知事の死去を受け、翁長雄志知事は、「突然の訃報に大変驚いている。心からお悔やみを申しあげる」と哀悼の言葉を述べた。大田元知事の沖縄戦の体験に触れ、「人一倍平和への思いが強く、平和行政に力を注いできた。今後も沖縄の歴史や沖縄戦の実相を後世に伝え、平和創造に向け中心となって取り組んでいただけると思っていたが、かなわぬこととなり残念でならない」と惜しんだ。菅官房長官の、木で鼻を括ったような発言と、好対照である。
金のため、自分のポストのために奔走する、現在の特に自民党議員見ていると、太田氏のように高い理想を掲げる政治家がいなくなってしまったことに何ともやるせない気持ちにさせられる。
真に沖縄の平和を世界平和を願った、太田昌秀氏のご冥福を祈りたい。