東京電力福島第一原発の事故の後すべての原発が停止し二年近くの原発ゼロを経て、現在3原発5基の原発が稼働している。原子力委員会が、稼働を前提に政権与党にジワリジワリと寄り添い、お墨付きを与えてきた結果と言える。しかしこれは巧みな原発稼働への仕組まれた構図・免罪符の発行に思えてならない。
安倍晋三は、「世界で最も厳しい規制」と呼ぶが、日本が世界で最も危険な地質に原発を建設していることは省かれている。国はこうして再稼働の責任を、規制委員会がが決めたことと責任の丸投げをするが、規制委員会は、「基準は安全を保障するものではない」と述べている。例えば事故の時の避難計画は対象外になっているのである。大洲原発など逃げる手段も道もない。委員会は基準に沿っているかを審査しただけであるというのである。国と規制委員会は相互に支えあいながら、あるいは責任をなすり付けあいながら、お互いが支持されている根拠にしているのである。再稼働ありきの奇妙な構図である。
日本の原発は事故の人災を減らすために過疎地に建設されている。しかも冷却水が十分な海沿いという事になり、寒村が多い。地方の村は財政難と人の交流を同時に回復させる、魔法の媚薬の原発の再稼働を望んでいる。極めて少数の人が反発されながら声を上げるが、反対の声は小さい。こうして寒村に再稼働容認の、村(町・市)議会決議をさせ、それを県が受けて国にお願いするという、どこも変わらない構図である。
東京電力の世界最大級の、柏崎刈羽原発の再稼働は、「福島の事故の検証と総括が先」とする、新潟県米山隆一知事の姿勢が何よりも優先されるはずであったが、その雲行きも怪しい。東電は我々の金を戴きながら、あと数十年もかかる試行錯誤の廃炉作業の目処すら立っていない。その中で、通常の規制と審査で乗り切ろうというのである。
票のために、口当たりのいいことを言い続けた県知事は、地位に就くと平気で翻意する。三反園鹿児島県知事が好例である。反原発派が一致して指示した男はいつの間にか原発容認派になっている。泉田新潟県前知事も然りである。泉田の場合は知事選に出なかったことは評価したいが、今度は衆議院選挙で自民党から立候補するというのである。民進党は、電力労連の圧力で原発容認をせざるを得ない。任期終了間近い規制委員会田中委員長は、東電の廃炉手続きの不適正を指摘しておきながら、適格性まで否定したわけではないと翻意している。
この人たちは国民のことなど何も考えてもいない。原発再稼働のたなら何でもする国の恫喝や方針に従順なだけである。いずれの原発も再稼働のためのアリバイ工作と理由づくりを模索しているだけである。