昨日(22日)ニュースステーションのコメンテーターは、文化勲章受章者でもある俳優の仲代達也であった。やや場違いの感はなくもなかったが、死ぬ前に「戦争だけはやるべきでない」と言い残したいという思いがあるとも語っていた。
北朝鮮への強力な圧力と、これに対する北朝鮮の見たこともない報復などと言う言葉が飛び交うのに対して、仲代達也はポツンと言った。
「北朝鮮もアメリカも何のために戦おうとしているのだ」と、述べ更に、「犠牲になるのはいつも庶民ですから」とつなげた。
政治はこうした最も基本的な疑問に答えなければならない。
国連での一連の安倍晋三の発言や姿勢を見ていると、帰国後の選挙を意識した発言ばかりに見えるのである。テーブルには全ての選択肢が乗っていると言いながらも、「対話はしない圧力をかける」とし、しかも、圧力は不可逆的とか異次元の圧力とかいうのである。圧力や制裁は世界が一致しなければ意味がない。世界が一致するわけがない。抜けがけは必ずあるだろうし、核技術やミサイルを求める国家やテロ組織は枚挙に暇がない。制裁はこうした不法組織を醸成することにもなりかねない。
北朝鮮は横暴な無法国家、暴走国家ではあるが侵略国家ではない。アメリカは何のために北朝鮮と戦おうとしているのかの答えは明確である。アメリカは派遣国家であるから、北朝鮮のような横暴な暴走国家はあってはならないのである。決して世界の非核化に向けての理念があるわけではない。日本も同じである。
北朝鮮は何のためにミサイルを打ち上げ核実験を繰り返すのかも明らかである。経済政策で失敗した国家が、対外的には周辺国家などにおねだりするための揺さぶり、おねだりの手段として必要なのである。国内的には、実績評価のない三代目が、強制国家としてのメンツのため、国民を鼓舞するための道具として必要なのである。
つまり、戦う理由など元々なかった武器を披歴する。それに異常反応を見せるアメリカと日本である。国連安保理の経済制裁決議には、北朝鮮の暴走を強く戒める一方で、話し合いに応じるようにも明記されている。対話の道を一方的に塞ぐ安倍晋三の姿勢は、この国連決議に反しているともいえる。
純朴な疑問、「なんのために戦おうとしているのか」は、どの時代でも戦争のきっかけかけにもなりうるのである。