演説会場に抗議に来た人たちを、「あんな人たちに負けるわけにいかないのです」とこき下ろしたり、野党の質問にまともに答えようともせず、「また下らない質問で終わった」と呟く安倍晋三である。
今回の解散にどう見ても大義などない。どうやら政府は、増税する消費税の使い道、教育の無償化、人づくり革命というような事大義にするようである。どれ一つとして、まだ任期のある470名もの代議士を首にし、解散して国民に問うようなものではない。それに、新聞各紙が掲げている選挙の大義はばらばらである。憲法違反の安保法の撤回、消費増税、森友・加計学園問題、北朝鮮問題、働き方改革等々であるが、ばかばかしいとしか言いようのない解散である。8月内閣改造したばかりである。仕事内閣と言いながらもう解散である。要するに600億円もの国税をかけて選挙する、解散の大義など存在しないのである。
野党が提出した国会開催の要請を、だらだら伸ばした挙句に解散して開催しなければ結局、憲法53条に抵触することになる。政府と与党が、国会開催に応じなかったのは安倍晋三に降りかかる、森友・加計学園疑惑である。
二階官房長官は、加計問題は小さなことと、論点になるのを否定している。与党側も大義をこれから作り出そうと四苦八苦の状態なのである。
「解散に踏み切る安倍晋三の理由がさもしい」でも触れたが、安倍晋三が狙う解散理由は二つである。北朝鮮危機を煽ってJアラートなど鳴らして安保法制の成つ正の根拠を作り出したこと。二つ目は民進党がごたごたで、選挙協力も機能しないようであり、都民ファーストの国政の足場もないという、野党の現状を見て踏み切るだけのことである。
政府や総理が強い解散権を持つ国は多くはない。先進国では日本は極めて解散が多く、衆議院の戦後の任期も平均で2.5年と言う短さである。今回のような大義すらない解散は、首相の解散権乱用としか言いようがない。しかも、冒頭解散するようである。森友・加計学園問題を突っ込まれるのを嫌ったのである。せいぜい野党は冒頭内閣不信任案の提出をして、解散権の乱用などこき下ろす機会を持てるかどうかというところである。こんな国会が、国民にとって何を生み出すのかと思う時暗澹たる思いである。
この政権には政治家としての矜持もなければ、権力者としての品格もない。ひたすら暴力装置を磨くことしか考えない。安倍晋三に金正恩を非難する資格があるのだろうか。