8月15日をほとんどの日本国民は、「終戦の日」だと思っている。報道も終戦記念をこの日を終戦の日と演出するが、政府はこの日を「戦没者を追悼し平和を祈願する日」と定めている。何故か?
今日8月22日は日本がポツダム宣言を受諾したことを国民に知らせた日の8月15日からちょうど一週間後になるこの日、北海道留萌沖で樺太からの引揚者を載せた船が、ソビエトの潜水艦の襲撃を受けた日、「三船殉難事件の日」なのである。本ブログで何度も書いてるが。
この日、北海道留萌沖で、樺太からの引揚者を乗せた、小笠原丸、第二新興丸、泰東丸の3隻の引揚船が、ソビエトの潜水艦に攻撃され、2隻が沈没の行為、1708人以上もの人々が犠牲となった大事件である。いくら戦時中と言えど、無防備の民間人を襲撃したソビエトの許し難い蛮行である。
スターリンは4月に翌年切れる、日ソ不可侵条約を継続しない旨日本に伝えているたが、日本は終戦の仲介をスターリンに依頼していた。スターリンはヤルタ会談で時期を定めて日本に参戦することを決めていた。2発目の原爆が長崎に投下された日に、宣戦布告し満州、樺太南部、千島に侵攻してきた。
日本の官僚はポツダム宣言受諾したと連合国に通知したが、不可侵条約を結んでいたソビエトはお構いなく侵攻してきたのである。狡猾なスターリンの戦略を見抜けなかった日本官僚は、そのことを失念していたのである。結局、東京湾に浮かぶミズリー号で降伏文書調印式が行われた9月2日が彼らの終戦の日である。国際法上の終戦の日は9月2日でる。
この20日の間隙を利用したスターリン、ソビエトの思うままに日本はのせられた。このことを戦後引きずって、千島列島への侵攻や特に歯舞色丹島には9月3日以降に占拠していても官僚は自らの瑕疵を認めない。それでも歯舞色丹島はソビエトの言う”戦後”得た土地ではないのである。二島返還をいまだ官僚が認めないのもそのためである。
この日本官僚の手違いの20日の間に、起きたのが三船殉難事件である。この間、樺太ではソビエト軍を日本軍は戦闘を交えている。千島では占守島での交戦したがその後放棄している。2000名近い民間人を殺害したソビエトの犯罪行為は許し難いが、敗戦の通告を6日前に参戦たソビエトに通告しなかった官僚の失態である。ただスターリンはそれでも侵攻を止めたかどうかは別であはあるが、。