「Fukushima 50 」(若松節朗監督:2020年3月)という映画を見た。ノーカットでテレビ放映されるということ見てしまったのであるが、詳細な事実関係は確認できないが、随所に首をかしげることばかりである。原作は門田隆将のノンフィクション「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」(角川文庫)ことであるという。映画の題になっている50は、かかわった人50人ということである。
翌年だったかに、東電と民間などの福島原発事故の総括を扱った本を、三冊購入したが内容がばらばらで、事故の複雑さを物語っている。
映画であるが、現場の混乱の原因は民主党政権下の怒りんぼの総理(菅直人であろう)にあるように強く描かれている点である。現場混乱の最大の原因は東電が、事故発生の訓練も避難訓練もしてこなかった点にある。映画で描かれているベントを外して圧を抜く作業一つとっても、想定外の暗黒の中で手探りでやっている。あらゆるものが想定外と言い続けることで、失態に免罪符を与えようというのであろう。
福島原発事故の最大の原因は補充電源の確保である。津波は原発事故とは関係ないし、たとえ原発建屋に崩壊が起きていても原発事故時は起きなかった。事実建屋は津波で崩壊すらしていない。原発建屋は津波にびくともなかったのである。各報告書は濃淡はあるがそのことはこの映画には記載されていいる。
原発事故は、電源確保の不十分さににある。世界の原発の補充電源は原発本体から離れたところに設置されたり、事故を見込んで並列で設置されている。直列の福島の場合は地震で電源崩壊が起きたことが、事故の直接原因である。
この映画では、地震で電源が真っ先に落ちたことは描かれているが、その後の津波があたかも事故原因かのように描かれている。電源確保に懸命に働く職員を英雄的に描かれているが、そのことはまったく触れられていない。
津波に関しても、第一次安倍政権で16メートルの津波を想定するように質問が出ているが、安倍晋三は心配ないを繰り返し、これを蹴っている。質問は津波による電源崩壊の危険性も指摘していた。東電内でも10数メートルの津波の予測をしておくべき、との検討案も出されていたが、これも東電は内部資料にも入れることがなかった。
この映画は何よりも民主党政権下で起きたこと強く意識し、首相の菅直人はすっかり悪人に仕立て上げられている。菅直人は理系の首相で原発については人一倍詳しい。そのことが彼を苛立たしたのであろう。
懸命に事故に対応した人々を際立たせるために対比して描かれた手法かもしれないが、英雄的に働いた人たちへの称賛は怠ってはならないが、この映画は、豪華キャストを並べることで表現として、民主党政権を悪に描こうとしている。上記の原発事故の事実すら隠してしまうのはどうかと思われる。
最後に桜を見ながら、「我々は福島を救った」と結んでいる。もう福島はアンダーコントロールされているとうのである。これは政治的意図をもって描かれた映画といえる。