福島原発の事故は世界の電力事情を大きく変えた。もう12年前のことである。ドイツとスイスは脱原発にふみきった。最近でも台湾などが脱原発へと向かっている。
本家本元の日本は12年経って、原発再稼働すると言い更には新規建設まで岸田文雄は宣言した。政権与党は、原発をベースロード電源に据えたままである。そのことが、日本の再生エネルギーの開発を遅らせている。さらには風力発電にしろ、太陽光発電にしろ発電現場では大きな問題を抱えて、エコ電源を自負している。民主党政権下では、キロ32円までなった買い上げ料も現在はその半分である。九州電力などは、余っているから買わないとまで言い始めている。
要するに、世界は懸命に多様な発電に進んでいるのに、日本は相も変わらず、巨大電力会社がどうして作るかということばかりを模索している。
そしてこのコロナ禍の元での、ロシアのウクライナ侵略である。異常気象に日本では円高という、ほぼあらゆるものが日本の取ってきた既定の路線にマイナスに働いている。
福島原発事故は、それらの転換の日本に促す象徴的な事故であった。簡単に言えば、多様な小規模発電を地域で稼働せることこそが、「明るい未来のエネルギー」なるのである。
府県のどこかの酪農家の人達が、フィンランドでエネルギーは全て域内で賄っている地区を視察する番組を見たことがある。どうしてこんなんことが出来るのか訪問者の一人が質問した。すると、日本は我々よりもっと資源があって羨ましい限りといった。
続けて、「日本は、我々より緯度が低く太陽光発電の効率も良いだろうし、降水量も多く山も沢山ある。水力発電も木材の火力発電だってできる。火山もあって地力発電だってできるし、海に囲まれて潮力や波力発電だって何でもできるではないか。」と答えていた。
日本は大電力会社が、巨大な施設を使って建てた発電所でなければならないという思想が基本にある。明治以降の近代化の中で発展を支えてきたのが、大企業でその存在を国は優先させてきた。
発電所は小規模で、も地域の特性に合った発電方式を採用する方が、効率的で多様な変化に対しても、順応できる。大金持ちの会社は必要ない。ドイツがいい例であるば、こうした対応を怠ってきた結果が、上図の電力料金の高騰である。再生エネルギーを主体にした、多様な発電方式へシフトしたドイツはほとんど電力代金に変化はない。
日本は電力企業をより一層巨大化することで、電力政策としようとしているのである。そのための原発再稼働そして新設という、世界に逆行してまですると言う奇策の結果が、電力料金に異常な高騰である。やっぱり原発は必要だという思いに、民意を向かわせるたいのであろう。
原発が平時ならともかく、戦時にあっては取り返しのつかない極めて危険な施設であることが分かっている。原発再稼働に反対する。