日本が民主社会を構築できない一つに、何か反対すれば田舎ではキョーサントーと卑語で呼ばれる。そこには議論の余地などなく、町議会ではいくら長年勤めても議長になれもしない。副議長の声さえかからない。どんな人格者でも同じである。護憲も反原発も環境保護活動も、キョーサントーと指さされる。
日本が太平洋戦争終結にむけての、ポツダム宣言無条件降伏の条件に、国体護持があった。天皇の罪をとわないとし、天皇制は残すという条件である。そして天皇が最も心配したことに、日本の共産化である。そしてその後のレッド・パージである。冷戦構造のなか西側にシフトする日本は、社会主義や共産主義を問答無用で切り捨てた。暴力革命を放棄した日本共産党は、アメリカ一辺倒の自民党にしっかり対峙する政党にもなっていった。
その一方で、共産党としての組織は強固であってその大勢はほとんど変わっていない。外部には強く対決はするが、内部には強権的に対応し封建的でさえある。
内部論争には極めて弱い側面が露わになったのが、今回の松竹伸幸氏の、「党首公選制」である。共産党は党首はまく委員長であるが、それを現役党員のジャーナリストの松竹伸幸が著書で提案している。その行為を分派行為と切って捨て、除名したのである。
ジャーナリストとして影響力があり分派行為としたとのことである。松竹氏は志位委員長は在任22年を超えたことなどが背景にある。党内の異論が可視化されていない、など近代政党とは言えないというのである。
昨年の参議院選挙で、共産党は惨敗した。選挙協力ももままならず結果が伴っているとは思えない。通常の政党なら敗北責任を党内から問う声が出てきそうなものであるが、一向に出てこない。あるいは内部で握り潰した可能性さえ疑われる。
小池晃副委員長、書記局長(この兼任も後継の成長を阻んでいるように思えるが)は、「党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしてはならない」と除名に踏み切ったとのことである。
ジャーナリストの江川紹子は、「問題にされた本を急いで読みましたが、『なんでこれで除名?!?!』という内容。言論・表現の自由は民主主義の基本。共産党はすぐに判断を撤回した方がいい」と述べている。
党員が党の決定事項に反する意見を、党外で述べることは許さな姿勢は、近代政党ではない。
現在日本でぶれることのない、護憲政党の共産党が支持者が減少する、高齢化するその理由を真摯に、幅広く討論しなければ党勢は頭打ちになる。それと、新たなマルキシズム、カール・マルクスの真の声が最近斎藤幸平氏たち若い世代が掘り起こしているが、日本共産党はこれに極めて非寛容である。相も変わらずエンゲルスなどの捕捉による難解な経済論を展開する。未来は政策だけではなく、科学的な検知や動向も極めて重要である。
今回のような前近代的な事が続けば、地方では相も変わらず、キョーサントーと卑語で私たちが指差しされたままである。