次期政権の中枢、政治局乗務員になると思われていた、薄熙来が失脚した。重慶では、毛沢東を倣う手法で重機で人気の
あった人物であるである。
簿は親が党員であった太子党と呼ばれる位置にいたが、改革開放派とは一線を画していた。薄の失脚理由は表面的には、妻の谷開來が昨年重慶のホテルで死亡した英国人の事件にかかわっていると、大々的に報道されている。彼女はすでに逮捕されている。
死体の処理を巡って、谷が指示したとも取りざたされている。
事件のきっかりは、部下の副市長である。王立軍がアメリカ領事館に助けを求めたことである。共産党を解任されている。
事件の真相は将来とも解明されることはないものと思われる。
薄熙来の失脚は多分純粋に権力争いであり、一連の不祥事は単なる言いがかりに過ぎないだろう。
習近平の周辺が、簿の古いタイプの運動と人気を嫌っての権力抗争ではないかと思われる。
それにしても、今後とも中国はこうした政治スタイルを変えることがないのだろうか? 経済大国になった以上、密室の権力抗争と、共産党一党独裁政権を見直す時期に差し掛かっているのではないか。