日本は奇妙な資本主義国である。新自由主義を推し進める、社会主義国家でもあり、自助を強制する新自由主義を掲げる社会主義国家でもある。
社会主義国家のように国家が資金援助し資金提供しているのが、大企業であり国家の方針に従順な企業や経営者や人たちである。巨大な輸出産業であるトヨタには実質消費税が課税されない。輸出補助金などを考えれば、彼ら大企業は手厚い国家の庇護の元に営々と生きている。護送船団方式は、倒産すると社会的な問題になるというのが、言い分であろう。
その一方で貧困層には最底辺には生活補助金が出ているものの、大多数の貧困層には何のおこぼれもなく、雇用すらままならない耐えて生きていく事になる。
日本の貧困層は世界的に極めて特異である。多くの国の貧困には目に見える原因がある。十分な教育を受けられなかったり、暴力団がらみであったり、薬物依存症や賭博に明け暮れたり、怠惰であったりなど直接的な問題がある。
ところが日本人の場合は、勤勉で学歴も高く薬物などにてを出している人も少ない。日本の貧困層は、政治が作り出したものといえる。貧困層には自助が前提なのである。
その見地な例が農業の分野である。幅広い見識はないが、酪農の現場にそれは顕著である。
国は大型化すれば国際競争力がつくという理由で、酪農の巨大化を推進する。その結果400頭搾乳の牛舎などにジャブジャブ金をつぎ込む。環境者意思の生理や循環を無視した巨大なギガファームは、社会主義的支援と手厚い保護のもとに高い牛乳を生産している。
ところが環境に即した営農をしている酪農家には、必然的に小規模家族型営農であるが、補助金が全くないのである。
600頭搾乳と30頭搾乳の、農家手取り、可処分所得がほぼ変らないことがおかしいのである。農家のためでなく、周辺産業を潤し環境に配慮しない、アニマルウエルフェアに外れた飼養形態がおかしいのである。
日本は大企業は社会主義的手当てを施しながら、小規模貧困層には新自由手芸を押し付ける、妙な国家である。