昨日の続きである。日本は大企業のための社会主義国だと考えると、この国の政治を理解し易くなる。原発がいい例である。国家の支援がなければ破たんするシステムは、放射性廃棄物の問題以前に、社会構造としての矛盾をかかえている。
上記の写真は、1月号の財界サッポロの記事である。国は酪農の大規模化を進めようとしている。国際競争力が着くと、農場規模を大きくするが、大きければ競争力が着くというような根拠は何もない。
昨日は400頭規模を例にと書いたが、その規模だと約8億円ほどがかかる。国は我々の税金をこのために約半額、4億円もかける。施設投資に莫大な費用をかけるだけでなく、輸入穀物を大量に家畜に与えることになり、牛は短命になる。税金をかけて生乳の生産費を上げていることになる。おまけに環境を悪化させ、人の食料問題を危うくする。
生乳5000トン廃棄問題が騒がれている。廃棄などせずバターにすればいいのであるが、バターの比率が上がると乳価を下げなければならない。国が推し進めた、薄利を多頭数でカバーする大型酪農は、もろに影響を受ける。そのために農協中央会が打った、5000トン廃棄のデマゴギーキャンペーンは大成功した。高価な飲用乳を消費出来たようである。
牛乳が余れば単価を下げればいいのである。それが新自由主義でないか。大規模農業を推し進める国や農協はそれでたまったものでない。5000トン廃棄キャンペーンは大成功である。大型高泌乳牛群は穀物を制限すれば、乳量は減らすことができる。
それに比べて、国からほとんど援助のない家族酪農は、生産費も低く出荷乳量も少なく、多少の乳価の下落などほとんど影響を受けることがない。
農協も国も奨励する飼養形態を守るために躍起になるが、国連など世界で推奨される家族型農業は、日本政府は自助でやれというのである。
自民党の口先の資本主義、岸田の言う行き過ぎた資本主義とは、大企業や自民党賛同者に限って行き過ぎたのである。貧困下層には新自由主義のままである。
企業献金をいっぱい貰ってるから保護するのだろうし、保護してもらってるから献金するのだろう。この流れは票も集めてくれる。このシステムは資本主義とは関係ないだろう。資本主義体制が、民主体制を歪にさせている。
日本の資本主義体制は富裕層が保護される奇妙な体制である。