民族の規定に科学的な根拠などない。進化遺伝学者アダミ・ラザードは、「遺伝学的には人種間よりも人種内の違いの方が大きい」と述べている。人種を遺伝学的に規定することは困難であると述べている。
織田信長の子孫だというフィギアスケーターがいたが、 400年以上になれば計算上は1億4千万人ほどに子孫の資格が及ぶ。現実的には地域や身分の制約などあってかなり重複するのでほこれほどにはならない。社会的には家督や資産の継続があって、末裔というのはそれでもかまわないだろうが、少なくとも科学的にはもっと広くなる。
民族は気候風土によって育まれたり、宗教や言語などを共有した仲間意識が文化となって高々数百年ほどで育まれたものである。生まれ育った環境は懐かしくもあるが、その逆に異なる文化には否定的になる。民族は大きく束ねられて、政治支配や言語や法律や地域を持ち国家を形成する。他文化や地域に対し諍いを繰り返すが、その原動力となるのが愛国心が用いられる。
アメリカがいい例である。世界各国から集まって200年に満たない歴史の中で、愛国心をブッシュは鼓舞しイラクやアフガンに侵攻する。
プーチンが、ロシアとベラルーシとウクライナは同じ民族と、大ロシアを唱えウクライナを侵略する。論理につながりがない。
圧倒的な軍事力で強引にチェチェンの民族意識を平定し、グルジアの人達をロシア化する。歴史を勉強しろとプーチンは唱えるが、内容は民族主義に他ならない。
イスラエルは5日、ロシアのラヴロフ外相が。「ナチスのアドルフ・ヒトラーに、ユダヤ人の血が流れていた」と発言したことについて、プーチンから謝罪があったと明らかにした。
プーチンが謝罪したのは時が時だけに、イスラエルと敵対したくない政治的判断といえる。イスラエルの借りを残したに過ぎない。しかしこれは現ロシア政府内に、民族的な優越と排除が存在していることを物語っている。
国家や人間を民族の評価で峻別しているのである。プーチンは多様な発言をしているが、結局は民族主義者なのである。それは前世紀の遺物である。ウクライナの人達は、プーチンならやりかねないた。
こうした民族主義者は世界各国にいて、政権中枢にはびこっていることも少なくはない。日本にも大勢いる。未だに靖国のエイレイを敬う、日本会議とその取り巻くがいい例である。